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ツーリング日和5(第25話)いつもと違う夜

「今日は飲みに行きます」

 ああまたか、地獄の講義宣言だ。ここのところなかったから油断していました。前の講義内容は・・・やばい、ウロ覚えになってるじゃないか。こりゃ、煉獄の一夜になりそうだ。

「シェフ、ご愁傷様」
「生きて帰って来ると信じてます」

 誰が死ぬか! 死にたいと思うほど辛いだけです。あれっ、いつもの居酒屋じゃいのか。これは個室で責め上げられるとか。どうにもロクな想像が思い浮かびません。予想通り個室に通されて、

「今日は飲も」

 今、なんて言った。いつもなら、

『前回の復習からです』

 この復習がどう頑張っても復讐にしか聞こえないのです。それが、どうにもおかしい。これは天変地異の前触れだ。これから南海大地震が起こるとか、まさかの六甲山大噴火とか、はたまたゴジラの来襲か。

「カンパ~イ」

 信じられないけど佐伯さんの笑顔だ。なんか初めて見た気がします。すると佐伯さんは眼鏡を外し、固く結っていた髪をパラリと解いたのです。

「変な顔しないでよ、私の顔になにか付いてる」

 変なのはどっちだ。佐伯さんだろう。でも眼鏡を外し、髪を解いただけでこんなに印象が変わるものなのか。まさに別人です。

「ここの店は美味しいよ」

 佐伯さんと飲みに来て、初めて料理の味を感じた気がします。たしかに美味しい、

「でしょ、でしょ、とっておきの店なんだ」

 口調も違う。この口調はあの電話の夜の時のもの。

「シェフは凄いよ。ここまでになってくれて嬉しい。今日はささやかだけど御褒美のつもり」

 どうもホントにリラックスして飲んでも良さそうです。というか、佐伯さんはグラスを次々に空けて行きます。

「シェフ、飲んでよ。心配しなくとも今夜は奢りだから」
「飲んでますよ」

 もしかして絡み酒とか。それにしてもどうしたんだろう。そうしたら佐伯さんが笑いながら、

「嫌な女だったでしょう。そりゃそうよね、鉄の金庫番だもの」
「そんなことはありません。佐伯さんが〆て頂いているので店の経営が成り立っているようなものです」

 そしたら少し寂しそうに、

「お世辞でも、ありがと」

 なにか別の話題にしないと、なんとなく話し辛いです。なにか柔らかい話題が良さそうだぐらいはわかりますが、たいしたものが思い浮かばず。

「彼氏はいらっしゃらないのですか」
「いないよ」
「今までに結婚とか考えたことはないのですか」

 ちょっとだけ間を置いて、

「あったかな」

 出会いは会社の当時の上司だった男だそうです。上司と言っても主任らしいのですが、

「そうね、パティシエならコミとプルミエ・コムの間ぐらいかな。だいぶ違うけどね」

 その会社の最初の管理職ぐらいで良さそうです。それでも同期の出世頭みたいな位置づけで、

「簡単に言えばエリートかな。なかなかイケメンだったし」

 佐伯さんはそのエリート上司に告白されて、舞い上がってお付き合いを始めたそうです。断る理由なんかなさそうですから、そうなりますよね。たちまち深い関係になり、

「そうだよ、シェフのリクエストの結婚を考えてた彼氏になった」

 佐伯さんは夢中も良いところだったようですが、しばしばおカネを貸してくれと言われるようになったとか。妙だな、相手は上司って言うのだから、給料だって上司の方が多いはずです。

「冷静に考えればね。でも夢中になってる時って・・・」

 出世のために必要と説明されて渡していたようです。やがて佐伯さんも結婚を視野に入れ始めただけでなく、

「子どもも出来ちゃったのよ」

 結婚話を持ちだしたら堕ろせと言われ、それは嫌だと言ったら、男の態度が豹変したそうです。殴る蹴るの暴行を受け、

「子どもは流れちゃって、捨てられた」

 なんとエリート上司は佐伯さんから借りたおカネを軍資金にして、出世のために本部長の娘を口説き落としていたのです。

「私はね、セフレ兼ATMだったのよ」

 そんな事って本当にあるんだ。ドラマの世界だけと思ってました。ただしこの件は佐伯さんの泣き寝入りで終わったのではありません。暴行やそれによる流産の診断書を取り、警察に暴行傷害として告訴しています。

「示談を申し込んで来たけど蹴とばしてやった」

 暴行傷害罪は十五年以下の懲役もしくは五十万円以下の罰金だそうですが、示談が成立していれば起訴猶予ぐらいに持ち込めることがあるそうです。

「ああそれね、傷害の程度はもちろんだけど、故意性、被害者の処罰感情も重視されるそうよ。あのケースなら、流産してるのは重いし、故意性も明らかじゃない。せめて示談で処罰感情の軽減を狙ったのだろうけど許すものか」

 懲役刑が下り、当然ですが懲戒解雇されています。佐伯さんは復讐を果たしたものの、心の傷は深刻で病院のカウンセリングも通うことになっています。そんな佐伯さんに、

「死ぬ気で働くなら、秘書やってみる」

 こう声をかけたのが、エレギオンHDの副社長って・・・なんだよ、それ。あそこは新卒を取らないので有名のはず。それぐらいはボクでも知っています。

「ああそれ、一応新卒じゃないし、トップ・フォーの秘書は新卒でも雇える特例があるらしいよ」

 秘書の仕事もあれこれあるそうですが、仕える上司の仕事の段取りを整えるのも重要だそうです。

「秘書の仕事も心得があったし、自信もあったんだ。それにエレギオンHDに勤められるなんて夢みたいなものじゃない。これで副社長に認められたらなんて思ってたもの」

 気持ちはわかる気がします。ところが副社長の仕事ぶりは想像を絶するものだったようで、

「死ぬ気でやったつもりだけど、秘書には向いていないと言われちゃった」

 これだけ出来る佐伯さんなのに、

「あれは中に入って働いてみないと絶対にわからないね。とくにトップ・フォーの働きぶりは人じゃないよ。バリバリのスーパーエリートを顎で使いこなすのが女神たちだよ」

 副社長も含めたトップ・フォーは女神とも呼ばれます。これはボクも噂では聞いたことがあります。それなら、この店に来たのはエレギオンHDを退職してとか、

「惜しいけど少し違う。左遷されたってこと。要は出向よ」

 出向ってなんだ。どうも出張の遠縁、派遣の親戚みたいなものはずです。それじゃ、この店のオーナーってもしかして、

「この辺の仕組みは複雑で簡単には説明できないけど、シンプルにはシェフの考えてる通り」

 佐伯さんは傾いたこの店を立て直すだけでなく、ボクをシェフとしてはもちろん、経営者としても育て上げる使命を受けて出向して来たのだとか。

「最後のチャンスを与えてくれたのかもしれない」

 結果はどう評価されたかだけど、悪いはずが無い。店は立派に立ち直ったし、ボクだってシェフと名乗れるぐらいの技量にはなったはず。

「そうね。副社長もかなり満足してくれた」

 当然だ。でもそうなったら、

「だからシェフと酒を飲んでるの」

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