ツーリング日和6(第29話)出会い
香凛は子どもの頃より祖父に華仙流華道を教わっています。そして父に継いで華仙流の三代目を担うことを期待されているのも受け入れていました。これはそういう家に生まれてしまった宿命ぐらいでしょうか。
そんな香凛でも祖父がいきなり持ち出してきた見合い話には抵抗がありました。見合いをするだけならまだ良いのですが、あれはどう聞いても結婚相手として決定しているとしか聞こえなかったのです。
祖父が選んだ見ず知らずの男といきなり結婚をしろはいくらなんでもです。ですが、周囲は香凛の反発とは裏腹に動いて行きます。父にも、母にも訴えましたが、祖父が決めて事だから以上の返事はなかったのです。
そんなバカな話があってたまるかの思いは日ごとに強くなり、ついに家出の決意を固めたのです。香凛はバイクが好きでした。女が、それも将来の家元になるのにバイクなどもっての外の反対を押し切って免許を強引に取っています。
家出をするならバイクでとは考えたのですが、香凛が逃げ出す気配を察したのか、気が付くと軟禁状態になってしまっていました。そこまでするのかの思いでしたが、お稽古の時にお弟子さんがバイクのキーを忘れているのに気づきました。
今しかないと思い、部屋の窓から脱出してバイク置き場に行き、そのまま家から逃げ出したのです。とはいえ逃げ出す先のアテがあるわけはありません。頭にあったのはとにかく遠くに逃げようだけでした。
途中でバイク旅に必要なものを買いそろえたのですが、そこにあったポスターに目が留まったのです。敦賀まで行けばフェリーがあり、それに乗れば新潟でも、秋田でも、北海道にも行けるのだって。
高速で敦賀に着き、フェリー乗り場でどこに行こうか考えたのですが、秋田にしようと考えました。これは、もし祖父が追いかけて来て香凛がフェリーに乗ったのを知ったとしても、北海道に行ったと思うのも期待してのものです。
フェリーに乗り込み、一夜が過ぎてデッキで海を見ていたのですが、そこにガラの悪そうな男たちに声をかけられてしまったのです。世に言うヤンキーで良いと思いますし、それも三人組なのです。
あれこれお断りをしてみたのですが、ヤンキーたちは執拗でした。隙を見てデッキから船内に逃げ込んだのですが、それでもヤンキーたちは追いかけてきます。どうしようと切羽詰まった香凛はカフェコーナーに逃げ込んだのですが、カウンターに立つ男が目に入ったのです。
人は切羽詰まると突拍子もないことを思い付くものですが、なぜかこの男に助けてもらおうと思ってしまったのです。香凛は男の腕を取ったのですが、振り向いた顔に仰天しました。あんな怖ろしい顔だとは夢にも思わなかったのです。
ですが、こうなってしまっては行くところまで行くしかありません。香凛の必死の目配せと追いかけて来た男たちの様子を見て察してくれたのか香凛が、
「私には彼氏がいるの」
こう言うと、これに応えるように、
「おんどれら、ワイの女になんか用か」
香凛を追いかけて来たヤンキーたちは蛛の子を散らすように逃げて行ってくれました。ですが、この顔、この声、さらにこの逞しい体は普通の人とはとても思えません。どこをどう見てもその筋の人、それも幹部クラス以上の人にしか思えなかったのです。とはいえ形の上では香凛の窮地を救ってくれた人です。
「ありがとうございました」
声が震えているのは自分でも良くわかりました。ですが勇気を振り絞って、
「お、お礼を・・・」
男はテーブルに香凛を誘いコーヒーを飲みながら話をしたのです。ところが男は思いの外に温和な人だっただけはなく、普通の会社員、それも女性下着メーカーの営業担当と聞いてビックリしました。
こんな空恐ろしい容貌で女性下着の売込みをやっている姿が、どうしても想像がつかないぐらいです。筋物でなかった点は安堵しましたが、一連の出来事に疲れた香凛はコーヒー代を払わせてもらって部屋に戻ったのです。
部屋に戻ってから、これからどうしようを考えていました。とにかく家を飛び出したものの、若い女の一人旅です。これからもあんなヤンキーみたいな男たちにまた絡まれるかもしれません。
助けてもらった男の名前は竹野さんなんですが、秋田で下りて東北ツーリングをすると言っていました。容貌こそ怖ろし気でありますが、見た目と違い、温厚で親切そうな人です。ならばマスツーしてもらおうと考えたのです。
夕食時のレストランで竹野さんを見つけ、女の一人旅はやっぱり怖いと話しマスツーを持ちかけたら快諾してくれました。それでも本名を名乗るのは怖かったので山野瞳としておきました。
秋田で下船したら竹野さんは約束通りに駐車場で待っていてくれて、その日は男鹿半島からまず北に。途中でなまはげ像を見たりしながら入道崎へ。さすがはツーリングポイントに紹介されるだけの事はあります。
入道崎から寒風山を走り岩城山を越えて弘前に入ります。弘前の市内観光を楽しんだ後に青森市に向かいます。時刻的に青森泊りになりそうですが、連れて行かれたのはちょっとオシャレ目のビジネスホテル。
夜は街に出て郷土料理を楽しみ、それからお互いの部屋に別れています。この日で良く分かったのですが、竹野さんは容貌に似合わず紳士です。そうでなくては女性下着の営業など出来ないと言われればそれまでですが、きっちりと香凛をエスコートしてくれます。
事件は翌朝に起こります。香凛はホテル代を払うつもりでした。カードを出したのですがこれが使えないのです。祖父がカードを停めたとしか思えません。竹野さんは払ってくれましたが、その時から何かを察したのかもしれません。
バイク置き場に向かったのですが、そこに妙な男たちが待ち構えていたのです。ヤンキーなんかと違い服装とかはきっちりはしていますが、到底まともな人たちではないのは香凛でもわかります。
「お嬢さん。ツーリングごっこはこれで終わり。一緒に帰ってもらいます」
祖父が差し向けた香凛への追手だったのです。こんなに早くと混乱する香凛に出来る事は竹野さんに、
「お願い。助けて」
竹野さんは、
「お前ら、オレの女に何する気や」
これで引き下がって欲しいの願いも空しく、
「あなたには関係のない事だ。手荒なことは避けたいが、手を出すと言うのなら痛い目に遭いますよ」
男たちは見るだけで強そうなのです。それも三人もいます。もうダメと思った瞬間に男が竹野さんにパンチを入れたのです。そこからが凄かった。憤怒の様相になった竹野さんは、
「おんどりゃ」
竹野さんはパンチを入れた男の胸倉を掴み上げ投げ飛ばしたのです。コンクリートの床に叩きつけられた男は意識を失ったようです。残った二人は竹野さんの左右からつかみかかったのですが、
「うりゃぁぁ」
振り払うと言うより弾き飛ばした感じで、二人目を背負投げで仕留め、残った一人を足払いで倒して伸し掛かり、首をグイグイと締め上げたのです。このままでは男が死んでしまうと思った香凛は懸命に竹野さんを宥めてこの場を去りました。
竹野さんは容貌も怖いのですが、戦ってもあれだけ強いのに驚嘆しました。あの三人は確認したら日本最凶とも呼ばれる白羽根警備だったのです。それを三人も相手にしてまさに鎧袖一触じゃないですか。
聞くと竹野さんは柔道黒帯ではありますが、これまで喧嘩などしたことがなかったそうです。この辺は、喧嘩になるより前に顔を見ただけで相手が逃げ出したと苦笑いしながら話してくれました。
そこから香凛は本名を明かし、こうなってしまっている事情をすべて話しました。竹野さんは香凛の事情に深く同情してくれただけでなく、全面的に協力してくれるとまで言ってくれたのです。
青森からどうするかも話し合ったのですが、一か所に留まるのは良くないからこのままツーリングを続けることになりました。とはいえ昨日のツーリングとは様相が一変します。祖父が雇った白羽根警備は青森で香凛を見つけているのです。
そうなると道行くクルマ、バイク、人々まで気になります。そう、常に追われる心境に追いつめられて行くのです。そんな香凛の心の支えが竹野さんです。あの大きな背中は香凛を安心させてくれます。
最初は潜もり声で怖ろし気に聞こえた声も、香凛の怯える心を落ち着かせてくれるのです。それより何より真の紳士なのです。親しくはしてくれますが、香凛との距離は絶対に保ちます。決して馴れ馴れしい素振りなど微塵も見せないのです。