ワンダのヘアカーラー 映画『WANDA/ワンダ』に関するメモ
ワンダ・ゴランスキー(バーバラ・ローデン)のこれまでの人生で、物事が順調に進展したことなど、ほんの数える程度しかなかったに違いない。彼女のままならない髪型ひとつとっても、そう想像せざるをえないのである。
そもそも、なぜヘアカーラーを巻いたまま裁判所に出廷してしまったのか。おそらく、前の晩にセットして寝るつもりが、ビールを飲み過ぎて姉の家のソファーで寝てしまい、出掛ける前にあわててセットして、法廷に入る前にほどけばいいだろうと思ってそのまま裁判所に向かったものの、定刻を過ぎてすでにはじまっていた審議を恐る恐る覗いてみたら名前を呼ばれ、仕方なくそのまま出廷した、といったところではないだろうか。ニコラス T・プロフェレスの手による編集はそんなくだくだしい経緯を一切省略しているが、経緯はどうあれ、我々の目は彼女の頭に吸い寄せられてしまう。そのため、若い愛人ができたので難くせをつけて妻を離縁しようとする夫の身勝手さについては、つい見逃してしまうのだ。
彼女はその荊の冠をつけたまま、以前働いていた縫製工場に未払いの給料を受け取りに行く。そこで働いている女性たちは、なるほど皆カールさせた髪をきっちりとセットしており、彼女が場違いなのは明らかである。給料の半分以上を税金と称して棒引きされているのに、それも仕方がないような気になってしまうのも、彼女のヘアカーラーが大いにあずかって力あるところである。
ヘアカーラーを巻いた彼女の髪には、この醜い世界において有用な人間にだけは決してなるまいという、無意識の抵抗のようなものすら感じられる。有用であるとは、誰かにとって利用するのに都合が良いということだ。ろくに家事もできず、縫製工場の仕事もうまくできない彼女は、ボタ山に埋もれたボタのように、有用性の世界において何者でもない。これまで他人に利用される生き方しか知らない彼女は、自分が誰なのか、何を望んでいるのかすらよく分からない。彼女を拾ったノーマン・デニス(マイケル・ヒギンズ)はいう。
この発言が、彼女の髪型をめぐる会話のなかでなされたことは注目に値する。ミスター・デニスは彼女の髪型をこきおろして、みっともないから帽子を買ってやるという。翌日、郊外のショッピングモールで彼女が買った被り物には、白い花飾りが冠のようにあしらわれている。ヘアカーラーが花飾りに替わっただけのようにみえなくもないが、彼女の表情は花嫁のように明るく初々しい。
二人は銀行の頭取の自宅を襲う。このときの彼女の髪型は毛先がきれいにカールしていて、なるほど裁判所で巻いていたヘアカーラーはこうなる予定だったのかと納得のできばえである。この日の彼女は髪型だけでなく行動も冴えていて、ミスター・デニスをうまくサポートし、計画は順調にすすむ。しかし、彼女が運転する車は途中でデニスとはぐれてしまい、ようやく銀行についたときにはもうミスター・デニスは撃たれている。事件現場を取り巻く野次馬に混じった彼女の髪からは、毛先のカールがすっかりとれてしまっている。
現場から逃走した彼女は、バーでビールを奢らせた男の運転する車で採石場に連れていかれる。そこは彼女が出て行った炭鉱の風景にどこか似ている。車中で事に及ぼうとする男から逃げ出した彼女は、カントリーの流れるバーにたどりつく。そこにたむろする男たちも、彼女が出て行った場所の男たちとほとんど変わらないようにみえる。彼女はこの世界から出ることができず、この世界のどこにも居場所がない。
『WANDA/ワンダ』1970年/アメリカ/カラー/103分/1.37:1
監督・脚本・主演:バーバラ・ローデン
撮影・編集:ニコラス T・プロフェレス