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映画『夜明けのすべて』に関するメモ

現代の社会における人とのかかわりは、多くの場合、互いに自立した個人であることを前提としている。「社会に出る」とは働くことと同義であり、その目的は少なくとも経済的に自立することだ。また、日本社会に広く普及している「他人に迷惑をかけてはいけない」という倫理感は、個人の精神的・身体的な自立(自律)を強く要請する。

自立した個であるために、私たちは自分の弱さを他人に見せないようにして生きている。もちろん、生きていれば誰でも弱さのひとつやふたつ(やみっつやよっつ)は抱えているものだ。しかしそれらを公的な人とのかかわりで認めることは大きなリスクとなる。そのため私たちは、自分の弱さをプライベートな事柄として他人から覗かれないようにしておく。ときおり他人の弱さを目にすることがあっても、見なかった振りをしてやりすごすのが親切というものなのだ。

カナダの哲学者チャールズ・テイラーは、このような自立した個を「緩衝材に覆われた自己」と呼んだ。自分の周囲にバリアーのような障壁を建て、他人が自分の領域に踏み込めない、自分もまた他人の領域に踏み込まないようにしながら、他者と関わっていくイメージである。

これに対し、みずからの弱さや不完全さを隠すことなく、他者に対して無防備にかかわりをもとうとする自己像を「多孔的な自己」という。「緩衝材に覆われた自己」がはっきりした輪郭をもつのとは対照的に、「多孔的な自己」の輪郭はあいまいで、他者に共感し、その内面をたやすく自己のものとしてしまう。

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「いったい私は周りにどういう人間だと思われたいのだろうか」

映画『夜明けのすべて』の冒頭の藤沢さん(上白石萌音)の独白は、他人にどう思われるかばかりが気になって、自己の輪郭をうまく思い描くことができない彼女の多孔的な性質をよく表している。

PMSの症状のため、周期的な頻度で過度に攻撃的になってしまう藤沢さんは、制御できない怒りで自分から緩衝材をズタズタに突き破ってしまう。周囲の理解がなければたちまち人間関係を壊してしまう彼女は、そのぶん、ふだんは必要以上に他者の気持ちを忖度してしまい、自分自身の気持ちを省みる余裕はないようにみえる。

そんな他人の気持ちへの想像力もまた、藤沢さんの多孔的な性質の一面だろう。山添くんがパニック障害であることに気づいた彼女は、彼のしんどさを我がコトとして共感し、彼の要求を勝手に想像してそれに応えようとする。それが自分に可能かどうかはあまり考えない。

一方、藤沢さんが配るシュークリームをすげなく断る山添くん(松村北斗)は、緩衝材に覆われた自己として画面に登場する。彼は藤沢さんのおせっかいを迷惑に思いつつも、彼女の症状を知り、よく観察することで、自分が彼女をサポートできることに気づく。山添くんにとって、それは他者との新たなつながりを結ぶことである。山添くんの周囲の緩衝材が、クリームのように徐々に溶けていく。

それは、それまでの自立した個と個によるつながりとは異なる種類のつながり方だろう。互いの弱さを緩衝材の後ろに隠すのではなく、弱さを抱えた自己を相手に開き、他者に支えられ、自分もまた他者の弱さを支えることによってつながること。多孔的な自己として、他者への想像力を働かせること。強さではなく弱さによってつながること。

多孔的な自己は死者ともつながることが可能である。山添くんと藤沢さんは、プラネタリウムの解説をつくっていく過程で、栗田社長(光石研)の亡くなった弟が残したカセットテープや、コクヨの測量野帳に記されたメモに触れる。ここにはいない人の内面に入り込む。

藤沢さんと山添くんだけでなく、栗田社長と山添くんの元上司(渋川清彦)が参加する自死遺族の会も、弱さを介したつながりと言えるだろう。これらの人と人のつながりが、暗い夜の空に様々な星座を描いていく。なるほど、プラネタリウムの投射機は、物理的に多孔的な装置に違いない。

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自立した個と個のかかわりは自助を基本とし、自分の弱さは私的な領域にとどめておかなければならない。そのため私たちは、緩衝材を超えて他者に手を差し伸べる行為を、愛情や友情、正義感といった、なにか特別な感情や資質によるものと考えがちだ。しかしひとは本来、目の前に支えを必要とする人がいれば、当たり前に手を差し伸べてしまう生き物ではないだろうか。藤沢さんや山添くんが、恋人でも友人でもなく互いに支え合うことができたように。それがうまくできないことがあるのは、あいだにある緩衝材が、身動きしにくくしているだけなのかも知れない。

直近に大きな地震があったせいか、16ミリフィルムで撮影された街並みも、柔らかさとともにどこかはかなさをたたえているように見えた。

参考文献:
瀬尾まい子『夜明けのすべて』(水鈴社)
小川公代『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社)

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