美ら海水族館でヒトをやってきた(南国ヒトり日記)
沖縄の美ら海水族館に来た。
南国のトロピカルな魚たちが大好きな自分にとって、ここは水族館の中でも特別な場所。前回来た時に痛く感動して以来、またいつか来たいと思っていた。
前回は家族と一緒に来て、息子もまだ幼かったから、あまり集中して見られなかった。なので今回はそのリベンジ。思い存分魚を見ることができると、着く前からウキウキだった。
美ら海水族館の主役は巨大な水槽を泳ぐジンベイザメだけど、僕はその前の、様々な熱帯魚が泳ぐエリアが好きだ。色とりどりの魚たちはそれぞれに特徴的で、見ていて本当に飽きない。
30分ほど眺めた頃だろうか、僕は魚を見ている人間側ではなく、魚たち側にいて、魚たちと泳いでいるような気分になってきた。魚側から、人間たちを眺めているような、そんな気分。
自由に泳ぐ魚とは裏腹に、彼らはみんな一列に並びながら、水槽を少し眺めて写真をとっては、次の水槽に移っていく。ほぼみんな同じことをやっているのである。その様子はさながらアリの行列ようだ。
思えば僕が前回来た時は、そのアリの行列の一部であった。いくら南国の魚に感動してようと、同じ水槽に長く滞在していたら、家族といえど迷惑をかけてしまう。
しかし今回は一人なので、何時間でも眺めていられるのだ。そしてアリの行列のように同じことをしている人間を逆に眺め、「人間は大変だな」なんて思ってしまう。
おそらく「人(ヒト)」は、本来であれば好き勝手に行動する動物なのだろう。しかしながら、ヒトが複数人集まれば、ヒトとヒトの間で生きる「人間」となる。そうすればヒト本来の特性を抑え、人間をやらなければならない。社会性が必要だからだ。
おそらく前回来た時の自分同様、もっと魚を長い時間眺めていたいと思う人は、この中に少なからずいるのだろう。しかしそれは許されない。人間は大変である。
やっぱり一人だと思い存分ヒトになれるのでいい。
そんなことを考えつつ、魚を眺めていた。自由に泳ぐ南国の鮮やかな魚たちの共演に、ただ見とれていた。