批評『フェデラー~最後の12日間』、Prime Video、2024年
本作は、題名通り、ロジャー・フェデラーの引退試合までの12日間が描かれた作品である。
紹介文にもかかれているように、本来公開する予定で撮られていないため、フェデラーに去来する感情が、そのままフィルムに現れていて、好印象を与える素晴らしい作品である。
何と言っても、本作品の見どころは、2000年代のテニス界を盛り上げてくれた、4大巨頭、フェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレーが、引退試合に勢ぞろいするところであろう。これは、フェデラーでなければ実現しなかったであろう。
また、この試合は欧州選抜V.S.世界選抜というエキシビションであるのだが、その監督も豪華で、ボルグとマッケンローであった。テニス・ファンには、垂涎の組み合わせである。
フェデラーが語っていて、「はっ」としたのは、自分は対戦相手に対して、「闘争心」をむき出しにして戦ったことはなかった、というところである。やろうとしたのだが、できなかった、そうである。
いわゆる、レジェンドと呼ばれる「トップ・オブ・トップ」のスポーツ選手には、共通点があると私は考えている。それは、常におごりを捨て、ハングリーさを保つため、「怒り」を求めているのである。
例えば、マイケル・ジョーダンは、NBAファイナルの前夜、対戦相手のコーチにレストランで出会った際、「いいスーツだね。」と言われたことを、「からかわれた。」と解釈して、次の日にその「怒り」を「闘争心」に変えた、と自分で語っている。
また、ジョコビッチも批判されるたびに、強くなっていった気がする。事程左様に、「闘争心」を保つのは困難なのである。このようなエピソードは数えきれないほどある。例えば、タイガー・ウッズ、コービー・ブライアント、パトリック・マホームズ等々。
それでは、フェデラーの戦い方はどうであったんだろうか。
一つ語っているのは、フェデラーは相手が打ってきたボールで、相手のコンディションやメンタル、戦術が分かったそうである。それを素にして、チェスのようにプレーしたと語っている。
チェス・プレーヤーや将棋の棋士が、相手の手や自分の手に対して一喜一憂しないように、確かに、フェデラーは静かにプレーしていた。もちろん、フェデラーも感情を出すときはあったが、まれであったことは確かである。
試合の方は、メインに描かれてないが、フェデラーはもうこのときには、プレーできる状態ではなかったので、往年のまるでバレエダンサーのような華麗なプレーは観れないが、それはYouTube等で観て、満足するしかない。
ちなみに、フェデラーも自身のプレーをYouTubeで観たりするらしいので、我々もそれで我慢するしかないだろう。
少し、長くなってしまったが、本作は、フェデラーという一人の人間の男前度が一番の魅力である。興味がある方は、ぜひ見てほしい。
また、書いていて思い出したのが、『ボビー・フィッシャーを探して』、という名作である。この作品は、少年がチェスに出会い、その成長を描いたものである、この少年が大きくなったら、フェデラーになるのかなとも思った。観てくだされば、私が言わんとしていることが分かると思う。
フェデラーを抜きにして、この作品は素晴らしいので、本作を観なくても、『ボビー・フィッシャーを探して』はぜひ観てほしい、「忘れられた傑作」である。