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自然に呼応する感覚とか、美とか;法という現象
夜勤明け、勤務中です。
昨晩は神経が疲れた感じで勉強をしたくなかったので、ずっとゲームの動画を見ていました。自然って良いな。言葉で言い表せないくらいの強烈な感銘を受けます。
まずは、The Elder Scrolls IV:Oblivion。実はこの続編のSkyrimしかプレイしたことはないのですが、2006年に発売されたのですね。
中世ヨーロッパ風の緑鮮やかな街道や町をただただ歩く動画ですが、最初から最後まで全部観てしまいました。自然と背筋が伸びて良い姿勢になり、ずっと座っていてもどこも痛くならなかったです。たぶん10時間以上でも全然観てられそうです。
次は、これもプレイしたことがないのですが、不時着した架空の惑星の海を探索するSubnautica。
これもずーっと観ていられそうです。
こういった動画をずっと観ていると、美しいと感じる風景や生き物の動き、揺らめき、色彩、音といった総体が、同様に長い生命の歴史の中で形作られてきた僕自身の感受能力によって、先験的に、もともと美しいとして捉えられるべくして捉えられるようになっていることを感じさせられます。
きっと、こういった美しいもの、堪らなく心を惹かれるもの、全身が喜ぶようなものを認識できることで、生き残ったり、世代を継いで存続する結果に繋がったのだろうなと思わされます。
前回の記事に書いたサイバネティクスや複雑系理論が気になったきっかけでもあります。
さまざまな守りたい価値があり、それを、当事者とか、国家機関といった人工的なシステムの調和・存続へと繋がる入力や出力に繋げる。
それは、自然や生き物が美しいと感じるのと同じような、感覚的に気付いたら形を為しているような奇跡的なフォームであって、頭で解を見出すようなものではないのではないか。
多くの事実、多くの制約の中から先験的に答えが浮かび上がる類の、空から降ってくるもの、勝手にうまくできたものといった形で得られるものではないか・・と考えたりもしたのですが、社会的な現象が、上記のような自然的現象と同じような美しさを持ちうるのかどうかは確信が持てません。
しかし、自然をモデルとして、社会現象の創発に与かることがもしできるなら、そういった場に居合わせてみたいものだとも思えます。
試験に受かってからよりもずっと先の目標もできた気がします。