久しぶりの投稿になってしまった… 先ほど、職場の隣の席の先輩と語らう時間があった。 また別で書こうと思っている、親しい後輩の話からスタートした語り。間違いなく「お喋り」ではなく、「語らい」という感じで「対話」とはこれなのだろうと思う時間だった。 話す中でこんなに共感ができる思考スタイルの方だったのかと驚くのと同時に今までもっと話しておけばよかったと後悔した。 内容は大きく2つ ひとつは自分を高めることについて。 もうひとつは言葉について。 今年「自分にベクトルをむけ
悔しい瞬間だった。 先日クラスのある女の子から言われた言葉。 ただ、ただ、悔しかった。 今年、教室をルールで縛ることをやめようと考えて来た。 そんな中でこの2月を前にあることが起きた。 「先生ー、〇〇さんが先生に隠れてシャーペン使ってたよ。」 と、その女の子は所謂、チクリをしてきた。一応、その場を知っていて、声はかけた。 「うん、知ってるよ。」 そう答え、反応を待つ。 すると、 「え、知ってるのに没収しないの?」 と驚く女の子。 続けて 「先生ゆるいからなあ」 そう呟くと
「行く1月」があっという間に行ってしまい2月になってしまった。のこり、32日だそう。 先月中頃辺りから隣の学級がまた難しくなってきてしまった。子供の対応はずっとあったのだが、結局は大人同士の課題が大きいように感じる。 他害のあるその子に対して、学校としての対応を求められたことで、今回は、管理職と担任との間に歪みが生まれてしまった印象。 その中で感じた点と線。 担任は子供たちと1年間の契約で毎日朝から下校まで関わっている。日々の浮き沈み、3歩進んでは2歩下がる、たまに1
最近、思うことがある。 平成生まれの自分でさえ、令和を生きる今の子供達と生きる世界が全く違うのだ。 先日、クラスで好きな曲の話を聞いた。 ある子がいたって普通に「曲名知らないんだけど…」という出だしで話し始めた。ジェネレーションギャップだ。待て待て、好きな曲のタイトルを知らないのか。そんなことってあるのか。 …と呆気に取られている間に子供達の話は進む。曲名を知らないその歌が子供達の会話で共有されていく道筋にはやはりSNSがあった。「わかるーあのダンスかわいいよね。」と続く
先日、ある人の授業を参観した。 長年お世話になり、僕がこの世界に入るきっかけとなった人。 授業の内容は専門性の観点からするといろいろ反省点はあったのかもしれない。小中連携の観点からすると、もう少しやらないといけないことがあるなとも感じた。 ただ、その人が長年一つの教科を教える中で研がれていった教態と言われるような所作は本当に磨かれた物であった。朝早くから教材研究をしていた、あの姿勢の賜物なんだと感じた。さらにそれでいて丁寧に一人ひとりの進度を確認する声掛けをするこまやかさは
今日は3学期の始業式でした。 年始から日本ではさまざまなことがあり、現在も痛みやつらさを感じている方々を思うと胸が痛くなるばかりで、今日の夕方にはまた地震があったとのこと。 仕事を始めてすぐ近くの学校に配属になった大学の友人が新潟に住んでいて、年始から連絡しても良いものかと迷っていたのですが、思い切って「大丈夫?」のLINEをしてみた。幸いすぐにいつものような雰囲気で返事が来たので本当に安心したが、なんともいえない気持ちになった。 ただその中で確実に言えるなと思ったのは、
東京都で先生をしているよっしーです。 備忘録的にnoteを始めようと考えたきっかけを残しておきます。 今年度、再度担任として働くことになり、自分の成長をたくさん考える機会があり、voicyに出会い、インプットをたくさんしてきました。 とても有意義で刺激的で人への憧れを久しぶりに感じることができました。 ただ、この30になる年、「それでいいのか?」がずっとあり、2024、アウトプットをしていこうと考えました。 手書きでノートに書いていくのも良いのですが、もしかするとこのしがな