続けない理由

「ずっと続けてゆく」「変わらずひたむきに一途に」「その道を極めてゆく」「こだわりの美学」「保って守り続ける(保守)」「一生変わらぬ真実の愛」

などなどの考えが好きな人たちがいます。

いやボクも、それらの考えが好きな時、自分の中にあてはまる時もあります。

しかし、例えば「親子丼は最強で最高の食べ物だ!一生食べ続けたい!」と思春期に思ったものの、やがて飽きたり、他の牛丼や海鮮丼などの美味しさを知ったり(なんで丼?)することで、親子丼を食べ続けたり極めたりする事をやめてしまいました。

また、ボクは好奇心旺盛で、あまり深く考えないで何かを始める時もあるから「同じ事ことをずっと続ける」ことができないこともあります。(いい大人なのにねー)

また、何か続けてゆく対象や自分の判断が間違えだと気づいた場合に、自分の頭と心にフタをして、それでも強引に続けてゆくのは、自分の限りある生命の時間を無駄にして、自分の自己肯定だけを大切にした「安心したい気持ち」を最重要視した考えになってはいないか?と考えたりもします。

さらに言うと、固執、執着、決めつけなどが生まれるのも、その対象が本当はどうか?という論理的な真理の追求よりも、「自分を否定したりされたりするのが嫌だから」という、自分の考えや判断を守る傲慢さから出てくる考え方ではないかと考えることもよくあります。

いやでも、伝統を守るとか、努力して何かを継続してゆく良さや価値があることも知っていますし、何かの道を極めてゆく人はスゴイと思うし、ありがたいとも感じます。

それに、「誰かがずっと変わらずに同じ事をしていてくれる安心感」というのはボクにもあるので、何かにこだわり続けて追い求める人も好きです。自分にはなかなかできないし。

「トイザらス社員」から始まったボクの社会人人生は、1年後に放送作家(テレビ&ラジオ業界)へ、さらにゲーム会開発からカジノ企画などと、15年で様々なエンタメ仕事につき、何一つ究められてはいない感じはありますが、ボクの中では「人が面白い!と感じるモノってなんだろう?」という抽象的な思いを自分に正直に、自己否定しながら追い求めてきたとも言えます。

さらにそこから「面白い勉強とは?」で学習塾を始めて、知的好奇心の面白さと子育ての楽しさを常に進化させてきた10年後、今では「ゲームで学び遊ぶシン・スクール」といった謎の居場所を「面白そうだから」と始めることになっているので、どうやらこの男は「面白い」ことにはこだわっているような感じもします。

ただ1つ、「とにかく続けてゆくことを優先」される場合に疑問があるのは、「先に決めてしまう」という点です。

結果的に「続いた」はアリだと思うのですが、(予算を組んで)「10年計画」とか、「一生モノとして大事にします!」と言うのは、そんな事を誰かに言われたいわという乙女心とかは別として、自分の変化や成長を先に抑制してしまわないかと思ってしまいます。(している人いたらごめんなさい)

まぁだから、ご飯に何か乗っけて食べるの大好き!ぐらいにしておいて、親子丼こそ最強!なんて具体的なこだわりみたいなのは、「ビジネス一途」は別として、あまり言い続けない方が思い込みに引っ張られないでいいかなと思ったりもします。

ちなみにシン・スクールでは、「今は」マイクラやフォートナイト、ロブロックスが流行ってますが、VRも含めたその他のゲームもどんどんやっていて、常に「面白い」を探し求めています。飽きっぽさと追い求める気持ちがそこには同居しています。

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吉澤一雅(ヨッシー塾長)
これからも「オモシロと学び」の情報や考え方を伝えていきたいのでサポート頂けたら嬉しいです!