「楽しい時間だった」という価値は、死ぬまでの時間の中で最も上位にあると考える理由



人生にはさまざまな価値観がある。成功、お金、名誉、愛、成長、貢献…人それぞれ「何を大切にするか」は違う。

でも、もし「楽しい時間だった」と心から思える瞬間が積み重なっていくなら、それはどんな価値にも勝るのではないか? そう考える理由を解説してみる。

① 楽しさは「今」を生きる感覚をくれる

「楽しい」という感覚は、過去や未来ではなく、今この瞬間を生きている実感をもたらしてくれる。

• 仕事や勉強に追われる日々 → 「この努力が未来の成功につながる」と考えて頑張る。

• 辛い経験や苦労 → 「いつか報われるはず」と思いながら耐える。

もちろん、そういう生き方もある。でも、その「未来のために今を犠牲にする」考えが行きすぎると、気づけば「楽しい時間がほとんどなかった人生」になってしまうかもしれない。

「楽しい時間だった」と思える瞬間があるということは、少なくともその瞬間は「未来のため」ではなく、純粋に今を楽しめたという証拠。それは、人生にとって大きな価値があるのではないか。

② 楽しさは「自分に合った生き方」を教えてくれる


楽しいと感じることには、その人の本質が現れる。

• ゲームに熱中する人 → 何かを攻略することや、成長の過程が好き。

• 誰かと話すのが楽しい人 → 人とつながることが幸福の源。

• ものを作るのが好きな人 → 自分の内側にあるものを表現することで満たされる。

「楽しい」という感覚は、自分にとって本当に合っていることを教えてくれるコンパスのようなものだ。

「成功のため」「お金のため」と考えると、本当は向いていないことにも頑張ってしまう。でも、楽しいことを基準に生きると、自分に合った道を自然と選べるようになる。

③ 「楽しい時間」は、最終的に人生の質を決める


死ぬ間際、人はどんなことを思い出すのか?
• たくさん稼いだこと?
• 偉業を成し遂げたこと?
• 苦労を乗り越えたこと?

確かに、それらも大切かもしれない。でも、本当に心に残るのは、「楽しかった瞬間」ではないか。
• 友達と笑い合った時間
• 夢中で遊んだ子ども時代
• 大好きな人と過ごした日々
• 何かを成し遂げたときの興奮

お金や名誉は、死ぬときに持っていけない。でも、「楽しい時間の記憶」は、自分が生きた証として残る。

だからこそ、「楽しい時間だった」と思えることは、人生の中で最も価値があるのではないか。

④ ただし、「楽しい」には2種類ある


ここで一つ考えたいのは、「楽しい」には2種類あるということ。

1. 一時的な楽しさ(快楽)
• 甘いものを食べる
• ゲームで勝つ
• SNSの「いいね!」が増える
→ 短期的には楽しいけど、持続しにくい。

2. 積み重なる楽しさ(充実感)
• 何かを創り上げる
• 誰かと深い関係を築く
• やりがいのあることをする
→ 楽しさが「人生の豊かさ」に変わる。

一時的な楽しさだけを追い求めると、一瞬の快楽は得られても、満足感が薄い。でも、積み重なる楽しさも合わせて大事にすれば、人生そのものが「楽しい時間だった」と思えるものになる。

⑤ 「楽しい時間だった」と言える人生にするために


「楽しい時間だった」と思える人生にするためには、次の3つのことを意識するといい。

1. 「楽しいことを我慢しない」
• 「やりたいけど、今は忙しいから…」と先送りしすぎない。
• 未来のために今を犠牲にしすぎると、結局何も楽しくなかった人生になる。

2. 「本当に楽しいこと」を見極める
• 流行っているからではなく、自分が心からワクワクすることを見つける。
• 快楽ではなく、「積み重なる楽しさ」を大事にする。

3. 「楽しい時間を作る努力をする」
• 楽しいことは待っていてもやってこない。
• 積極的に「楽しむ時間を増やす」意識を持つ。

まとめ:「楽しい時間だった」と言える人生が最強


「楽しい時間だった」という価値を最も上位に置くのは、一見シンプルだけど、実はすごく本質的なことだ。

なぜなら、人生の最後に残るのは「楽しい時間の記憶」だから。

• 何をしたら楽しいのか?
• どんな生き方をしたら楽しいのか?

それを考えながら生きることで、「本当に自分に合った人生」を作っていくことができる。

「楽しい時間だった」と言える人生を生きることこそ、最も後悔のない生き方ではないだろうか。

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吉澤一雅(ヨッシー塾長)
これからも「オモシロと学び」の情報や考え方を伝えていきたいのでサポート頂けたら嬉しいです!