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運気をあげる「人間の分際」

曽野綾子さんの「人間の分際」を以前、読みました。曽野綾子さん・・・私が前職のときに、プロテスタントの先生から勧められた本が曽野綾子さんの本だった。私は高校がカトリックの高校だったので、プロテスタントのことをよく知らなかった。その時にある先生が勧めてくれたのが曽野綾子さん本。いわゆるプロテスタントを理解するのであれば曽野綾子さん、読むといいよということで。

この本の帯に「やればできる」というのは、とんでもない思い上がり。と書かれている。まぁなんという大胆なご意見。成功哲学本、読み漁っている人にとってはなんだか努力すること、変わろうとすること、変化しようとしていることが無駄のように聞こえてくるじゃ、あーりませんか(by チャーリー浜)。ま、もちろんそういう意味ではないと思いますが。

この本の冒頭「誰でもそうなのだろうが、私も昔から、世間と自分との間に幾つかの深い溝があるのを感じて生きてきた。当然のことだ。親たちは良識や常識に従って、我が子が世間に害毒を流さないことを望む。そして私をも含めて大方の子供たちが親たちを失望させず、交番のお巡りさんに捕まりもせず生きていくことを納得する」

世間と自分との間に幾つかの深い溝がある、という感覚ははたしてどういう感覚か。私の場合、なにかしらの集団に属していながら、そのなかの自分が集団から距離がある、溝があるととらえた。

具体的に、たとえば、この仕事しんどいぞ、ちょっと無理かもね的なメールをある人に送信した。しかし返信がなかったとか・・・すっごく単純だけと笑。いわゆるそこには孤独感が存在している。とても不安定な孤独・・・履いて捨てるほどある孤独・・・アホらし。

「ほとんどすべてのことに、人には努力でなしうる限度がある。青年は「大志を抱く」のもいいが、「抱かない」のも賢さなのだ。」なるほど、ま、確かに。以前noteに書いた「紳竜の研究」島田紳助さんのDVDだが、正しい努力について、無駄な努力になっていないかどうか・・・ ☟  ☟

しかし、この無駄な努力になっていないかどうか、の見極めはとても難しいのではないかと思う。それは「為せば成る」の考えが頭をよぎるからだ。このあたりは成功哲学本の世界。ありとあらゆる方法、テクニック、在り方、アファーメーションとかが溢れている。

・・・この「身の丈に合った暮らし方」をするということが、実は最大のぜいたくで、それを私たちは分際というのであり、それを知るにはやはりいささかの才能が要る。分際以上でも以下でも、人間はほんとうには幸福にはなれないのだ。・・・・

これはやはり年を重ねてきた人間の言えること。到底、凡人にはこの境地には到達しえない。しかし、その「為せば成る」を実践することで深みに嵌まりどうしようもないことになることを私は知っている。なのでここで言う「いささかの才能」というは本当に才能であると断言できる。見極める才能とでもいうべきか。私もいくつもの夢破れ、この境地に至ることに、至る未来に自分の期待がある。

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