島本理生の「red」を読んでいる最中。いわゆる不倫について。普通じゃ満足できない人たち。
島本理生の小説中のsex描写は、いやらしく感じないとかインスタでこの本を読まれた方とやりとりをしたことがあるのですが、どうなんだろうかと考えてしまう本でした(といってもエロいばかりの小説ではないのですが)
しかし、いまやsex描写はある種、DVのような強引かつ強姦的な描写が当たり前なのでしょうか。冒頭のところでそう思ってしまったしだいです。なんだか不倫をきれいごとのように書いています、この本は。いや、そうでもないか、まぁ当たり前につきものの精神的な葛藤、悩みも描写されています。夫婦で本音を言わない関係性を築きつつ、不倫に走る女性が主人公なのですが、いまや夫婦間、いや恋人間でもここまで本音を言わない関係性なのですね。ある程度はもちろん本音は言わないところはあると思いますが、夫婦間、恋人間で。しかし、ここまで言わないのか?!と思うくらい本音言わない関係。まさに現代はこうなのですかね。
そういうところを突いてくる変な男、小鷹さん。そして本命の鞍田さん。どっちも微妙に行き来する主人公の彼女はなにを考えとるのじゃ、いったい。
と、思いつつ実は私がそういう性格でして、わかる気がするところもある。と今書いてて気づいた。
もちろんnoteでもこの本のことを書いている人は多数いる。それくらいセンセーショナルな小説?!とは思わない。
不倫を描写した小説なんて履いて捨てるほどある。
「猿の見る夢」桐野夏生
「不機嫌な果実」林真理子
失楽園とかいろいろ・・・たくさんあるわ。
猿の見る夢はおもしろかった。男の哀れさが痛快だか桐野夏生さんって
こういう性格なのね、と思ってしまう。違うかもしれないけど。
不機嫌な果実はこの本がでた当初、とても話題になったが
本音と本音がぶつかりあう不倫?!という印象がある。
でもかなり昔に読んだ本なので、うろ覚え。
いわゆる不倫に走ってドロ沼化するのはいったいどういう構図か
ご存じだろうか。渦中のふたりの心理はどのようなものなのか。
夫婦という関係性を保ちながら、結婚式で大々的に夫婦になることを祝福されたにも関わらず、他の人を好きになるということ。
・・・
・・・・・
それはもう今までの人生を否定してでも、伴侶以外の好きな人に走る構図である。
生涯、この人と沿い続けると思っていたのに違う好きな人があらわれた。そしてその人と関係を持ってしまう。いまはそんなこと、履いて捨てるほどある不倫だがしかしこれはかなり大きな冒険であるということを潜在意識は知っているはず。
伴侶より好きな人があらわれるなんてこと
人生で起きるとは思っていなかったかもしれない。
でもあらわれた。
それは絶対的な好きな人なのである。
旦那より、奥さんより好きな人。
伴侶を超越して好きになった人。
もう究極の好きな人である。
しかしいずれ修羅場と化する。
修羅場というのは、いろんな修羅場があるが
自身の精神的な葛藤、悩みの修羅場、
お互いのパートナーを巻き込んだ修羅場など、
それぞれの修羅場を迎える。
もちろんパートナーを巻き込まない修羅場もあるだろうし
精神的なことはなにもない修羅場もあるのかもしれない、
→そんなの、ないと思うけど。
そしで、こんなニュースもありましたなー
バカな?!不倫じゃなくて芝生で一緒に座ってなにを話する?!
悩み?!仕事のこと?!バカかおまえらふたり。
こういうパティーン、すごく多い。
いわゆる不倫さなかのふたりは周りにバレていないと思い込んでいる。
よくありがちなパティーン。
じつは周りからみているとバレバレ。
これもそう。
周りからバレバレでも不倫を否定して、
そういう批判的な現実を乗り越えて自分たちの世界を突っ走る派、である。
いろんなかたちで不倫が存在するが
伴侶を超えてまでも好き、の感情、在り方、気持ちが巻き起こす
センセーションナルはもう手の施しようがない。
最後はこれで締めたいと思います ☟ ☟