良い写真と決めるのは誰か?
私は今は写真活動を行なっているが、昔は美術の学校に通い、油絵、日本画、陶芸、彫刻、デザインなど、美術の基礎を学んでいた。勿論、美術史も学ぶのだが、大抵の有名な画家は死んだ後に自分の作品が認められて、それから有名になる。ゴッホなんか良い例だ。彼は生きている間は誰にも注目されず、売れない画家として活動していたのだ。
そのことを学んでいた授業で、教授は教えてくれた。「芸術というのは、自分が素晴らしいと思うものと、他人が素晴らしいと思うもの、この重なるところが評価される訳だ。この重なる部分をどれだけ広げられるかが重要だ。」
写真家として、自分の作品を、誰にも評価してもらわなくても構わない!自分の作りたいものを作るのだ!という方は、それはそれで素晴らしいと思う。だけど、写真家ではなくカメラマンとして活動するなら、そこには三者が存在する訳だ。撮ってほしいと言ってくれた依頼主がいる訳だ。その人が良いと思えるような写真にするには相手の見方も考える必要があるだろう。ただ、自分の素晴らしいと思う領域を広げ、相手が予想もしていなかった美を見つけてあげると、それは大変魅力的な写真になると私は想像する。
もし誰かに私の写真をアドバイスしてほしいと言われると、一応良い点とアドバイスはする。ただそれも、"私"の意見または"一般的"に好まれる為にはこうした方が良いという程度にしか過ぎず、売れなかった画家のように、後の世代には素晴らしいと思われるのかもしれない。だから、芸術には不変的なものはなく、評価が難しい。だが、アドバイスを求めた人も良い作品を撮りたい訳なのだから、アドバイスする自分も、そして他人も美しいと思うものを教えている。「こんな風に撮ると面白いと“私“は感じる」、とか、「こんな風に撮ると安定した構図と呼ばれるものになる」のような調子だ。そのようにすることによって、アドバイスを求めた人の美的センスの輪を広げるのだ。
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