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#132 本を読むことだけが読書ではない。だが、しかし。

おはようございます。
お盆も過ぎましたが暑い日はまだまだ続きます。日中は熱中症になるくらい暑いぇ、家の涼しい所で本を読むのはいいなじゃないかとも思ってますわ。

さて、一般的に「読書」というと「本を読むこと」を連想すると思うんじゃけど、表記は「読み書き」とあるように「書かれたものを読むこと」が読書じゃと思うんよね。それは本に限らず、新聞やネットニュースもそう、論文やフリーペーパーなんかもそう。これらを読むことを総称して「読書」というんじゃと思うんじゃわ。
そう考えると、誰もが日常的に読書という行為をやっとる。新聞も真剣に読むと時間がかかるけど、その分結構な情報量が頭に入ってくるし。日経新聞なんかは流し読みじゃなくて真面目に読むと2時間くらいかかるけぇなぁw
さすがに写真集を読書と呼ぶのは違うような気がするけど、新聞やネットニュースまで含めると広い意味での読書を日常的にやっとる人は多いと思います。

最近は「若者の活字離れ」がよく言われるんじゃけど、こういった広い意味での読書、特にネットニュースやSNSまで含めると若者もそこまで活字から離れとるわけではないんよね。あくまでネットもSNSなど、自分たちの若かりし頃に存在しなかったツールに触れた年齢層が「あんなものは読書とは認めんぞ!」と鼻息荒く、フガフガしとるだけなんじゃわ。
それにネットニュースやSNSに見て、フガフガ層が言う「読書の媒体である本」に興味を持つこともあるしね。

・・・フガフガ層ってなんじゃw?

一方でやっぱりネットニュース・SNSと違って、ボリューム感だったりその情報の深さだったりは本に一日の長があると思います。わしの検索方法が下手くそじゃけぇなんかもしれんけど、ネットで深掘りをするのはなかなか難しいけぇなぁ。感覚論じゃけど、ネットニュースやネット検索は広く浅くといったイメージは否めんわ。
そういった意味でも本を読むということは価値があると思っています。
いつかどこかの誰かが言うとったけど「ネットはデパートの試食で、本は料理」というのを聞いたことがあるけど、結構核心を突いとると思うわ。

というわけでまとめに入ります。
今回は結論を先に書かなくて、何が言いたいのかわからんかったよねw わしも書きながら考えとるけぇ仕方が無い(苦笑)
端的にいうと、自分の身の回りには自分が思う以上に「読書」という行為が溢れとって、でも「読書」という行為の中でも「本を読む」という行為は一段違った層にある。
じゃけぇ、本を読むことが好きな人は「趣味は読書です。」とは言わずに、「趣味は本を読むことです。」と言った方がいいと思うんよね。そこはプライドというよりも誇りとして。
こういうちょっとした言い回しは本を読む人は気になると思うし、気にすることでいろいろなことがいい方向に回りだすけぇ。そうすれば意識も変わってくると思うし。

じゃけぇ、これからはわしももっと意識して「本を読む」という言葉を使おうと思います。
まぁnoteのハッシュタグは面倒じゃけぇ、これまでどおり「読書」という言葉を使うけどw

わっしょい(・∀・)ノ

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