挑戦と変化の10年。地方の事業づくりとこれから。
今年3月25日で合同会社よーそろを設立して10年を迎えた。
御手洗地区で観光ボランティアガイドをはじめ、ふとした一言からカフェをすることになり、その後仲間が増え、ギャラリーに次いで3号店の鍋焼きうどん屋を始める年、2014年に法人化した。既存事業の課題克服と御手洗全体の価値を上げたいと点から線、面に広げるべくチームとして取り組む必要を感じたからである。現在までに7つの空き家を改修、事業化し、紆余曲折ありながらも結果的に10年という節目?をなんとか生き延び、この地で迎えることができた。
2018年の西日本豪雨災害、そしてコロナ禍を乗り切ったのも共に歩んできた仲間たちと応援してくれた皆さんのおかげである。
御手洗地区を舞台に様々なことに挑戦させてもらった。
本当に感謝しかない。
久々に文章を書きながら仲間や関わってくれた皆さんとこの10年でつくってきた歴史を振り返り幸せを噛み締めている。
一応の節目に今現在の状況と考え、今後のことなど書いていこうと思う。
柔軟に挑む。現在の活動とまちとの距離感
何があろうとももうすでに引き下がることはなく、どのように進めていくか悩みもがきながらも一歩一歩踏みしめて歩いている。私も40歳半ばになり、自分ではどうにもならないことに一喜一憂せず、その部分は流れに身を任せよう、結果に対して柔軟に対応していこうといい意味で肩の力は抜けているように思う。現在もまちの団体の理事や委員、社団法人の事務局長などいくつか役を受けているが、極度に危機感を煽るように限界集落のまちづくりはこうあるべきだなどということもなく、いい距離感でやるべきことに注力している。それはそれまで色々と失敗を重ねてきたからでもあるし、自分に力がないといざ本当のピンチが訪れた時に助けることもできないと感じたから。だから2019年頃から自分の事業をもっともっと磨こう、成長しようと事業への注力度合いを高めてきた。まち全体で皆がこうしなくてはならないと本気で思い行動する時、「あなたにしかできないこの部分をお願いしたい」と言われるように。
もちろん全体でまちづくりを進めるには今様々な機会やそれに応えてくれる環境があるとは思う。しかしながら個が描く未来や現状、スピードなどそれぞれ違う。それぞれの違いを無理やりひとまとめにして動くエネルギーを使うよりも、今はまちの行事(清掃活動やお祭りなど)に対して共に体を動かし汗を流すこと、小リスク、省エネで小さい成果を少しずつ上げていくことを大事にし、どうしても動かねばいけないとなった時に覚悟を決め、その時に束になって動けば良いと思っている。共有・恊働の意識は持ちながらも、世の中の情報や近くで起きる様々な課題に触れながら、まず個としてコツコツと主体性を育てていくことが大切だと思っている。
だから、今私のやるべき一番重要なことは、「価値ありを示す」ことであると考えている。結果を示さないとプロセスはほとんど理解されない。
できたことも沢山あるが、まだまだ道半ばである。
異質なものを取り入れて成長する
今まで御手洗地区で飲食店を6つ、宿泊事業を3つ、シェアハウスなどを作ってきた。コロナ禍では少人数でも運営できるようにセルフレジを3台導入し、宿の無人チェックインシステムと台帳デジタル化、個室化など事業の見直しを進め多くのアップデートを図ってきた。2022年11月から正社員を1人増員し、潮待ち館の再編とリニューアルを行った。宅建を取得し不動産事業部を立ち上げ、パートナー事業者と御手洗地区にある9物件18筆の不動産を一人の所有者から引き継いだ。加工場では、菓子製造、食品製造に加えレトルト食品製造、アイスクリーム製造も取った。
肩の力は抜きつつも、未知の世界に未だ挑み続けている。知らないことばかりで不安もあるが「変化は成長」であると恥をかきながらも異質なものを常に取り入れ成長していきたいと常に思っている。人は体温と同じように、元の状態に戻ろうとするのが本質らしい。知らないことは怖いし、変化に対して拒絶しようと動くことが普通であると。
とはいえ、人生は長くても100年しかない。私もそろそろ折り返し地点であるが、第一線でお客さんのニーズ、世の中の変化にスピード感を持って対応できるのもあと長くても15年が限界であると思っている。いやあと10年かもしれない。とても短い。。
必ず終わりがあるからこそ今できることを
10年後15年後も世の中の変化を楽しみたい。だからこそ大切な今を精一杯楽しみ、生きたいと思っている。
一度きりの人生。必ず終わりがある。やりたいと思うことは全部やって死ににたいと思う。良いことも悪いことも私にしか歩めない歴史を仲間と共に刻み、死ぬ間際にいいことも悪いことも全部合わせて「よくやった」と振り返ることができたら最高に幸せである。
先日、私の御手洗事業1号店である船宿カフェ若長を10年間共につくってきた大切なスタッフが亡くなった。とびきり明るく手際が良く大らかで豪快な女性であった。ふっと居なくなってしまったことは未だに実感できない。でも、人は生まれたからには死ぬことは必ず決まっている。色々な不具合を抱えながらも意思とは関係なく心臓が動き、お腹が空き、考え、感じることができる時間を送れることの方が奇跡なのかもしれない。
私はいつ死んでも悔いはないが、これからも未知の世界を知りたいし、人の成長を期待しているし、どんな未来が待っているのか楽しみでもある。
この世に生きている限り後悔なきように命と体を使いたいと思う。
「伝えなくちゃ」から「残していこう」へ
これからまた新しい事業に取り組もうとしている。
今までの10年間でやってきたように、既存の事業課題克服とまち全体の価値の引き上げを行うべく取り組むアクションである。
最近はこのnoteもさぼっていた。(すみません。。)
色々な情報が飛び交い、SNSではただただ流れて消えてゆく沢山の情報を見るたびに正直疲れていた。「伝えなくちゃ」とは思いながら「伝えることは結果のみ」だと言い聞かせ、後回しにしていた節がある。
ただ最近こう思うようになった。
「伝えなくちゃ」から「残していこう」と。
自分たちがやってきたこと、やっていることも未来から見ると歴史であり、そのつくってきた道も独自性となり全体としての価値になるかもしれない。
そう考えるようになった。
拙い文章で後で読み返すと恥ずかしいことも多々あるが、それも含めて残していこうと思う。
ではまた次回に。