オープン1週間後スタッフが卒業する~船宿カフェ若長10周年を振り返る。そしてこれからのこと~
お久しぶりでございます。
今までのですます調を改め、残すべきこと、伝えたいことをズバッと書いていきたいと思う。
ひと月ちょっと前4/29は船宿カフェ若長の10周年だった。その後GWをてんやわんして過ごした後、山になった提出書類の整理や会計ソフトの一新、3店舗のセルフレジ化に向けごちゃごちゃしていたら6月になってしまった。。
2011年御手洗の観光ボランディアガイドから突如カフェを開業し、しぶとくも10年続いた(笑)
本当に皆さんのおかげ。感謝。感謝。感謝しかない。
(レモンのクッキーと高燈籠のほうじ茶クッキーは大長レモンタルトをつくるあやちゃんが作ってくれた。いつも美味しいスイーツありがとう!)
長かったか短かったか...振り返ると色々なことがあり過ぎて濃い10年を送ってきたと思う。沢山の失敗を重ねながら多くの人に揉まれ成長させてもらった10年だったと振り返る。その中で起きたオープン後のすったもんだを紹介しつつ新しい取り組みに向け進んでいきたいと思う。
オープン1週間後スタッフが卒業する
以前のこのnoteで若長を立ち上げた話を書いた。
一年で一番忙しいGWのスタートと共に開店した船宿カフェ若長。
起業の勉強会で知り合ったある女性に協力してもらい、カフェの立ち上げ準備を進めた。スタッフとしても関わってもらいながらいい店にしていこうと夢を膨らませていた。
が、しかしGWが終えたときあることを告げられた。
「ここのお手伝いできなくなりました。。」
理由を聞くとお腹に赤ちゃんができたとのこと。もちろん私の子ではない(笑)
高齢出産程ではないが私よりもいくつか年上のその女性は初めての、そして念願の妊娠で、しかも双子なのだと。。
「おめでとう!ほんとおめでとう!」
申し訳なさそうに告白してくれて、こっちは大丈夫大丈夫と言って電話を切ったものの…えっ、今週末から若長どうしよう!?と冷や汗が出た。
意気揚々と船出をし、まだ出発した岸がすぐそこに見える数メートル先の沖で乗組員が離脱… 一人になってしまった。。
一人でも行く! と強がって考えてみたもののオープンすぐのGWは結構忙しく、メニュー数は今の1/4くらいの少なさではあったが、オペレーションも手探りで、調理と会計、それに加え二階席への昇り降りもある中で一人では厳しいものがあり。。
すぐさま知り合いに電話攻撃。誰か来てくれる人はおらん?ってか助けてーー。呉市内でも突出した少子高齢化の町であり、若い知り合いは1人もいなかった豊町御手洗で人は探せず、しかも呉市内から車で1時間の距離...完全に一人営業確定かと思っていた最中だった。
新スタッフ決まる!2番目の彼女は人と話をすることが超苦手な家にこもりっきり人だった。
元職場の知人から、「家にずっと居て働いたことがない娘を外に出したい友人がおるんじゃけど…」と。
何でもいい!来てほしいと私。
スタッフ2番目の彼女は人と話をすることが超苦手で家にこもりっきりな女の子だった。
私にさえ目を見て話をすることが出来ず、接客は言わずもがなで。
沢山の失敗をしながら、何度となく涙を流し、そのような中でも自分に向き合い挑戦をし続けてきた彼女も若長に来て10年が過ぎた。
今では足の不自由なお客さんに椅子出しましょうかと提案したり、これを勧めてみたらお客さんが買ってくださったと喜んで教えてくれるようにコミュニケーションが格段に上手くなった。
まだまだ粗削りではあるし、たまーに横着ぐせが頭を覗かすこともあるが(笑)、彼女は誰よりも大きく成長した。
10年しぶとくやってきて、身近に関わる人の成長を感じれることは何よりも嬉しい。本当に嬉しい。そして未熟で失敗ばかりの私も彼女のおかげで成長させてもらった。
順風満帆ではない航海、変化の渦の中で
建物は築200年を超え、この場所の変わらない風景にいつものようにあるのだけれど、目の前の穏やかながらも急流な安芸灘の海のように様々な変化の渦の中でやってきた。
若長からはじまり結果7つの空き家を改修し色々な事業を立ち上げてきたが、もちろん順風満帆ではなく、実は沈みかけたことも1度だけではない。その都度関わる皆さんや仲間達に助けられ、また偶然なのか運よく神様に助けられたことも幾度もあった。
ただ、どんなピンチでも諦めたことはない。どうやったらできるのか、できることは全てやる。それのみを考え実践し続けてきた。「なるようになる」というよりも「なるようにするんだ」「なるようにできるんだ」と自分に言い聞かせながら、自ら決断し、自分や仲間を信じてきたことでしぶとくも今に生き残っているのかもしれない。
なので、少々の変化では動じなくなったように思う。右に大きく振れれば左に振り戻しがあり、またその逆もありという風に多少なりとも経験を積み、変化の先に何があるのか、それをどう受け入れ進めていくのか、まだまだ未熟ながらも思考を広げることができているように思う。
変化に従い、抗う。
また、そのような自然の真理を考えるならば、必ず終わりもある。
200年続いている建物、風景、文化を時代時代の変化に対応しながらも次の世代にバトンタッチする”いち繋ぎ”としてやってきた。これからも若長はカフェのままでいいのかどうかはわからない。
ただ確実に言えることはこれからも時代の変化は訪れ、私も年を重ねる。
今まで通りいかないこともあれば、今まで以上にできることもある。
やれる以上は私もまだまだ冒険したいと思う。これから訪れるまだ見ぬ未来、これから出会うまだ見ぬ人、新しく誕生する世の中のサービスや技術、地域での新しい発見など考えるだけで楽しみでしょうがない。
良いことも悪いことも、最終的には私しか歩めない人生だったと息を引き取る直前に思える生き方をしたいと思う。
成すすべもない流れには身を任せつつも、引き続き小さな”抗い”を皆さんに見てもらいたいと思う。
「こうすればいいんだ。こうすればできるんだ。だったら私なら・・」と流れに対し立って足を着こうとする人、横に泳いでみようとする人、主体的に考え動いてみる人が1人でも増えると面白い。
広島県も緊急事態宣言が延長され、しかも早くも梅雨に突入した5月中旬から今まで。お客さんも少ないかもと1人のスタッフと私のみで何とか耐えようと土日は通常通り営業した。
2階の窓は取っ払い、海風ピュウピュウの完全換気状態と「会話はお静かに」の札を各テーブルに置き、お客さんを待っていたわけだが天気も良く、ワンちゃんと一緒に御手洗の街中を歩く人、バイクや自転車のお客さんが多く立ち寄ってくださった。
私も今、脂がのってる40代(笑)。しかしながら若長2階の昇り降りは足腰がなかなかしんどくなってきた。。
どう抗うか…
抗い方を変える。”移住促進”はバズワード
高齢化率が70%にも迫りそうなこの地域で一番の課題は人手不足。
地域活動や文化継承も事業を展開する上でももっとも大きな課題であると言っていいかもしれない。
それは全国の地方が抱える課題でもある。だからこそ、移住促進セミナーをしたり、起業塾などをしてきたわけなのだが、日本全体の少子高齢化は益々加速し、より一層の人手不足になることは簡単に想像できる。地方同士でいい人材を取り合う消耗戦もすでに行われているように思う。
「移住促進」…建前上とわかりやすく伝えるためにこの言葉を使うことはあるが、私の中では実はもう完全にバズワードになっている。
私には流れと逆方向に進むエネルギーと体力がないのもある(笑)
でもその方向ではなく、どちらにせよ今以上の人口減は避けられないのであれば、人口減を豊かに暮らせるやり方を模索した方がよい。抗う方向は流れ方向右斜めというところか。
これからの抗いと野望
この度、広島県観光地スマート化推進事業に企画書を出し、採択を受けた。
内容は御手洗4業態店舗のスマート化計画である。
2階への昇り降りがしんどい若長は、セルフレジにすることでまずは今までの2階への昇り降りを半分以下に減らすことを目標とする。
アルバイトの地元高校生が県外の大学に進学したことでスタッフ不足に頭を悩ませるSEAFRONT DINING新豊にもセルフレジを。
柑橘を使った商品づくりを行う矢野工場長が兼務するGUESTHOUSE醫は、無人チェックインシステムを導入し、時間に拘束されず余裕をもって多店舗運営ができる体制づくりを実現したい。
そして平日の営業から現在は土日祝日しか開けれていない潮待ち館は無人店舗へ挑戦。
都会にある皆さんが思うような無人店舗ではないかもしれないが、私たちなりの無人店舗を実現したい。
6月になり、いよいよ今週から若長もセルフレジを始動開始する。
通信がまだまだ不安定な部分もあり、当然機械も不具合が生じることも往々にしてあるので完全に頼ることはしない。
あくまでアナログの補完にデジタルや機械を使う。
特に無人店舗に関してはうまくいくかどうかもわからない。補助は出るとはいえすでに数百万円投資した。
今までやってきたように、あるものを組合せ、活用し新しい店舗のスタイル、価値をつくっていけたらと思う。
またその”抗い”をこのnoteで報告したい。