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2023年11月29日 13:59 常識に従う仕組みなど2つ


小麦粉

小麦粉って、冷静になってみると、別においしくないんだよね。かさばるだけかさばるんだけど無味乾燥な食べ物、という印象。(味覚には個人差があり、おいしいと感じる人を否定するものではありません。)
自分にとっては、小麦粉が使う魔法によって操られて食いたいと思わされてる面が強い。「ワイ達を食ってくるこいつら、htksっていうんか? ほーん。……せや! htksに食われ続けられたら、ずっと育ててもらえるやん」っていう、小麦粉の知恵がある気がする。魔法。
菓子パンって好きなんだけど、自分にとっては、油脂×糖がおいしいのであって、小麦自体はまずいんだよ。生地が無味乾燥すぎる。
甘い物好きなワイーニャは、菓子パンは最近は冷めちゃった。「おっ」って思う発想の菓子パンとかは食べちゃうんだケド。
最近は和菓子がとてもすき。
菓子パンの生地のハナシを続けると、小麦の生地はカラッポすぎなカンジがするから、個人的には、玄妙なカンジで生地のコクとか風味がすこし星井美希なの。
たとえば全粒粉の菓子パンになると、生地自体の味が主張しすぎるから、油脂×糖とは合わなくなる。油脂×糖に合わせる、つまり、菓子パンの生地にするなら、米粉のほうが奥深さが出て、よい。
今のところ、生地にするなら、自分の理想の物は、「韃靼そば粉」と「米粉」を混ぜたもの。韃靼そば餅というお菓子が、遠い場所にある和菓子屋さんで売ってるんだけど、あの生地は、自分韃靼そば超すきなので、もう生地じたいが超おいしい。
小麦粉を使うなら、「中身(あんことか)を包む外の皮」くらいの配合がちょうどいいと思う。あるいはフィナンシェのように油漬けにして小麦粉のおいしくなさをごまかす。自分が、もっと小麦魔法が効く体質なら、うどんや、お好み焼きも好きだったろうけど、いまは好きじゃない。カップラも好きだったけど、あれは味の素などの味に嵌る時期があったのであって、今は食わなくなった。
小麦粉ほどじゃないけど、白米も、そんなに魅かれない。でも、カレーを食べる時だけは、白米は外せず、おかわりも外せない。カレー×白米は神の食べ物。
自分が好きな主食は、そば、それと、単品で食べるならだんとつでさつまいも。
さつまいもは、ふかせば、おいしいし、食物繊維も豊富。
なんでも、野菜の中で一つしか食べられないとしたら、さつまいもがいちばん各種栄養素のバランスがとれているので、さつまいも一択である、ともいう。
主食に関しては、自分は、さつまいもにだんだんと置き換えていく計画もある。たまに蕎麦も。
小麦粉は、自分にとっては、天ぷらの衣、ケーキのスポンジ、チーズタルトの器、餃子の皮、そのくらいがちょうどいいカモ。



常識に従う仕組み


 社会の集合意識・社会通念・常識、について、雑談として、ちょっと書くの。

 死ぬ間際になると、「苦しんで、後悔が残って、人生に納得できなくて死ぬ」、ような人生が、「普通の人生」だって、わたしは思っているんだけど、
 それが「一般的」に、「普通」に、通用している理由は、たとえば下のような思考ではないだろうか。

「普通の集合意識に乗って、普通に死んで、判で押した苦しい地獄の人生を送る」ことは、納得できないが、
「みんな普通の地獄で阿鼻叫喚を上げて死ぬんだから」
「みんなそうなんだから」
 と考えて、自分を納得させる、
 いや、「納得したことにする」のだ。

 または、もう考えないようにする。感覚も無意識に鈍感にする。

 だって、考え始めて、「ワイの人生おかしかったんじゃね? みんなの真似してワイとか言ってる場合じゃなかったりしたんじゃね?」
 ってなったりして、それが積み重なった場合、死ぬ間際の苦しみが増すから、
「みんなが普通に味わう思い苦しみ」の中で、死んでいく。
 それが安全だからだ。
 
 この、普通の、人生の苦しい閉じ方。
 頒布されている普通の地獄。

 これって、無意識において働いている強制力。

 普通・社会・家庭・友人共・同僚共などが求める「いい人」や「無害な人」で生きて、死ぬこと。
 それは魂からしたら地獄だよ。
「自分はそんなことは求めていない」って魂は言うかもしれないよ。
 でも、聴こえないようにする。
 感度を落として、みんなが味わっている地獄を、みんなが味わっているという安心感と引き換えに、地獄なのに味わう。
 地獄だよー。

 安全だ、手堅い、失敗しない、角が立たない。
 自分を普通の形へと矯めて生きろ。俺達私達もそうしているんだから、お前が魂のままに生きて抜け駆けするのは、
 ズルイ、
 ネタマシイ、
 ウラヤマシイ! 
 お前だけ魂のままに生きて、自由になるのは、ユルセナイ! 

 それに、
 魂のままに生きるのは、自分をさらけだすこと。
 自分をさらけ出したら、普通の社会の人間たちから、袋叩きにされて、殺されるかもしれない。
 怖い、怖すぎるだろ! 
 俺達私達は、自分をさらけ出せない、いくじなしなんだって、知られたくないんだよバーカ! 
 自分をさらけ出して、殺されなくても、誰からも白い目で見られた場合も、たまらない恐怖だろカス! 

 それに、自分をさらけだすなんて、大変で、面倒くさくもある! 
 あまりにもさらけ出さなすぎて、自分って何? 忘れてさえいる! 
「普通地獄」という長いものに巻かれ、地獄を見ないふりしてた方が気楽やろうが死ねクソども! 
 ↑
 こういう自我的な呪詛を書かせるとわたしは昔から澱みなく巧く書くものだな! と思う。

「魂は死ね!」という強力な力。
 社会の集合意識・社会通念による、
 無意識の強制力。
「俺達私達の声に従わないと殺す!」という脅迫から受ける「恐怖」のパワーが、「普通地獄」では非常に強く、パワーの中心を占めている。
 自我って、いつも恐怖のパワーにイチコロで、右と言われればハイ、左と言われてもハイ、何といわれてもハイ。コロコロ首を振るのである。
 自我は、人間たちの自我がつながりあって、相互呪縛している自我の海。
 この生コンクリートの海は、コロコロハイハイの地獄。 
 
 ……うそだよ。
 本当は、自分は、こんなの、いやなんだよ。
 普通なんていやなんだよ、悲しいんだよ! 
 と、魂は思っているかもしれないのにね。

 その事に気付いたら、
「自分に全て任せてみる」という選択肢が、「普通」の世界に初めて入って来ると思うな。

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