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『ソロモンの指輪』と『堕落論』 動物が人間くさいのではなくて

読書会、面白いです。

読書会に参加したことが無い、という方が大半だと思うので、すぐ共感してもらえるとは思わないのですが、少なくとも私にとっては10年近く続けている習慣になっています。

テーマの本を1冊決める。
参加者みんなでそれを読む。
決めた日にカフェに集まる、そして意見を言い合う。

これだけ。発表者がいるわけではなく、資料を用意する必要もありません。(ノートを取ってくる時はありますけれど)
本を読むという行為が、「5月8日にいっしょに意見をシェアする」と約束するだけで、いかに充実した行為になるか。お近くで催しがあれば、ぜひ参加してほしい企画です。

そんな読書会で、昨日とても良い本を話題にしました。
コンラート・ローレンツ著、ソロモンの指環です。
タイトルだけみると、一見ファンタジー小説か?と見紛ってします。しかし、れっきとした動物行動学の本。ローレンツ氏はこの研究でノーベル賞生理学・医学賞を受賞しています。

卵から生まれたばかりの雛は母鳥に限らず、どんな生き物でも母親と認識する。有名なプリンティング(刷り込み)という生態を発見した方、といえばご存知かもしれません。

この本を読んでいく中で面白い一節がありました。
かれが犬、猫、カラスまで幅広い動物を観察し、本を著すと、ある批判を受けた、というのです。
曰く、「動物を擬人化しすぎている。嫉妬、怒り、喜び、楽しみ?彼の書き方は科学者にあるまじきものだ」というものです。
それに対するローレンツ氏の反論は次の通りでした。

私は動物を擬人化しているのではない、逆だ。人間が動物の模倣をしているのであり、もっと正しくいうのであれば、人間も動物の一種に過ぎないということだ。

本文の一節を意訳

人間も動物の一種に過ぎない。このくだりを読んだ時はとても腑に落ちたものです。

なぜ、人間は嫉妬深いのか、怒りに身を任せるのか、そして楽しむのか。
この質問は正しくありません。人間は、ではなく、動物(この研究の中では鳥類、哺乳類が中心ですけれど)はこういった行動を、本能や経験から行う、ということ。人間に限った話しではないということです。

これを事実とした時に、残念に思うこともできそうですが、私は少し安堵します。

そうか、浮気は不義だと言われているけれど、コクマルガラスの夫婦の間にも同じようなことがあるのか。
また、ヒエラルキーといった上下関係や、それに伴う嫉妬は、人の悪徳だと言われているけれど、ハイイロガンのグループでも垣間見れるのか。これは面白い観察記録でした。

全く別のカテゴリーの本ですが、第二次世界大戦後に「堕落論」を書いた坂口安吾という作家がいます。
彼は特攻隊に向かう男たちの、貞淑な妻達に違和感を覚え、文章に残しています。それは人間の本性ではない、戦中に作られた為政者にとって都合のいい価値観なのだと。本来の人間はもっとあさましく、ずうずうしく、明日を生きるために何でもする。
「足掻くもの」だと、彼は断言します。

コクマルガラスの浮気グセと、戦中戦後の日本人の価値観の推移を比べると、ドイツ人研究者の自然洞察が、日本人作家の人間洞察につながったような気がしてなりません。

ソロモンの指環は、動物研究の名を借りた人間研究のテキストとして楽しめる。昨日の読書会での発見です。


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