がん患者の家族になるということ

夫の母ががんになった。外科手術で、原発がんの切除はでき、進行してしまって、おそらく全身に広がっているであろうガンを叩くために、抗がん剤治療が待っている。同居の人が、またガンになった。私はまた、がん患者の家族にまたなってしまった。

1度目は父。私が大学4年のとき。大学3年からだったかもしれない。大学3年の7,8月にガンが発覚。がんは取り切れるサイズではなく、とれるサイズにするために、抗がん剤。何度か試したようだが、大学4年の6月に死んだ。ようだ。あまり覚えていない。むくんだ足、抜けた頭髪、病室から見る景色、病室があったフロアの構造、家具の配置…情景ははっきりと覚えているのに、時系列や、状況が全く思い出せない。

義理の母の通院の付添で、病院へ。母は手術直前、病院に入院したのだが、その時、同室だった患者さんと仲良くなっていた。一度はその患者さんも退院したものの、また入院。通院ついでにお見舞いに行った。

手術では取り切れない、次入院したらさいごって先生に言われていたらしい、今は個室の部屋、と母はその患者さんの容態を明るく教えてくれた。そっかーと、何も考えず、受け入れ、せっかくだからと、私もその方のお見舞いについていくことになった。患者さんが入院するそのフロアの入り口は、他のフロアと一線を画していた。緩和ケア、と書かれ、私はようやく意味を理解した。

ああ、さいごって、最期か。

患者さんの部屋は、まるでホテルのような落ち着いた部屋の作りだった。ソファがあり、ベッドの横には、トイレ。その作りは、父の病室を彷彿させた。父は長いこと、個室の病室にいて、そのまま息を引き取った。親父のことだから、看護婦さんにごねて、個室にしてもらったんだろう、と思っていたし、たしかそんなこと言ってた気もする。それに、オヤジの病室は緩和ケアの病室ではなかった。だけど、改めて付きつけられた思いがした。病院の人たちは、きっと親父がもう長くないってわかってたんだろうなと。やっぱり、わかっていなかったのは、私だけだったんだろうな、と悲しい気持ちになった。

母は、緩和ケア病棟に入院する患者さんと明るい語り口で話しながらも、ときどき、声を震わせていた。髪が抜けること、家族に負担をかけていること、後ろめたさ、治療への不安、死への恐怖…言葉の端々から、普段決して見せない弱さを、患者さんの前では吐き出せているようだった。

緩和ケアの患者さんは、嫁の付添で病院に来る母を少し羨ましそうに、だけど、自分の人生を決して悲観するでもなく、たださびしげに、そして少し嬉しそうに母と話していた。死期を悟り、痛みと戦う気丈な姿は、父とどうしても重なった。治療の施しようがないとわかっていながらも、自暴自棄にならず、最後の最後まで生きようとする姿は、とてもかっこよく見えた。

私は、父を憎んでいた。癌になった時、いい気味だとも正直に思った。だけど、衰える父の姿には、困惑した。回復を願ったかどうか、記憶があいまいだが、それでも、潔く死を受け入れつつも、最期まで病と戦おうとする父の姿は、誇らしく、まぶしかった。だからこそ、父の死を受け入れることが、難しかったのかもしれない。

もちろん、みんなに覚悟した方がいいと言われていたし、私も早く死ね、と思っていた。母に暴力をふるい、私を完全に支配していた父を、私は心から憎んで、疎んでいた。だから病室にいくのも苦痛だった。最期だからとわかって、無理やり言っていたけど、家に父親がいないのは本当に最高だった。だからだろうか?

「この人、マジで、死んだんだ。…本当に?」

となっていたのだと思う。助からない、と、わかっていても、死なないと、あんな憎い男が、死ぬわけがないと、本当に、心のどこかで思い込んでいた。だから、本当に死んで、驚いたし、心の準備をしていたつもりだったのに、全然できていなかった。葬儀の時も親族に「あいつは何もしない」と言われるほど、動けなかった。あの感情は、悲しいとは少し違うかもしれない、私の人生を振り回し、支配していた男が突然消えたのだ。ただ、理解がおいついていなかったように思う。

そんなふうになっていた自分を、悪いとは思っていない。それは必要なことで、父はそれだけのことを自分の家族にしていた男だった。父が死んでくれたから、今私は幸せなのだと、断言できる。それでも、そんな自分に、どうしても後悔がある。それ以外に選びようがなかったとは思いながら、次があれば、もっとできることがあるはずだ、と。でも、まさか本当に、次がきてしまうとは。
元気だった母に、突然ガンが見つかった夫や、ガンが見つかった母へ、思いが募る。

母はV字回復をするかもしれない。抗がん剤が劇的に聞くかもしれない。だって、原発ガンは取り切れたんだもの。だけど、死ぬかもしれない、という覚悟はしっかりしておきたい。そして、最期の最期まで、母の不安を取ってあげたい、生ききったと思えるように、サポートをしたい、そして、その母の息子、夫には、私のような後悔を少しでもしないでもらいたい。たぶん、2度目のがん患者になった私の役割は、そこにあるのかもしれない。

彼らを精神的に支えたい。ケアをしたい。あの時の後悔を、誰かの役に立てて、間違っていなかったと、無駄な後悔ではなかったと、思いたい。

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