軽く終わってたグラミー賞。この先の音楽業界は大丈夫か?
昨夜グラミー賞の録画を見ました。センセーショナルなタイトルですが正直な感想です。以下、何が終わってると感じたのか書いてみます。
タイトルとは裏腹に、筆者の目から自然と水が溢れ出た瞬間が少なくとも3回はありました。
①ルーク・コムズのパフォーマンス「Fast Car」でトレイシー・チャップマンが客演。
②アニー・レノックスがシネイド・オコナーの追悼パフォーマンスで「Nothing Compares to You」を熱唱。最後に「アーティストは(ガザand/orウクライナ)停戦を支持。世界平和!」と力強い掛け声。
③闘病中のジョニ・ミッチェルが登場し「Both Sides Now」をパフォーマンス。
そのほかにもスティービー・ワンダーがトニー・ベネットの追悼でパフォーマンスしたり、最後にはビリー・ジョエルが30年ぶりの新曲を演ったりと、往年のアメリカン・ポップのファンには見どころが多かったです。
(あえてアメリカン・ポップと表現したのには理由があります。それはUKアクトや、いまや無視できないはずのK-Popアクトが登場せず、多様性が反映されていなかったから。)
それでもなぜ、筆者が音楽業界の先行きに不安を感じたかというと、それはポップ業界の主役であるはずの若手のパフォーマンスがあまりにも軽薄で意外性に欠くものだったからです。
特にがっかりしたのはオープニングのデュア・リパのプラスチックなパフォーマンス、またマイリー・サイラスという存在自体の軽薄さ。さらに、期待していたオリビア・ロドリーゴの声にもパンチがなく、ファッションや振舞いも借りてきた猫のように気迫がなくてロックを感じなかったんですよね。
ショーが終わってみると多くの部門でノミネートされていたラナ・デル・レイやボーイ・ジニアスの貴重なパフォーマンスもなく、オルタナロック勢は完全にショーから駆逐されていました。
上記のベテラン勢を除くとSNSで人気の画一的なポップアクトしか登場しないというのは、あまりにも多様性が軽視されているように感じます。
まるでSNSの最大公約数的な世界に集約されていくようなこの傾向はいつまで続くんでしょうか。
ふだん可視化されていないアンダーグラウンドな音楽シーンにも、もっと光を当ててほしいと思ってしまいます。