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泣く事の大切さ,注意散漫ミスばかりの僕,私たちの目は平等ではない.

泣く大切さを知った。
なんだかスッキリする。

毎日情報を詰め込んで何か新しいものを考えて
それを自分のものにしよう。
あるいは何かに活かそう。
そんか事を毎日していると自分の中の中に入って
自分のやらなければいけないことばかりを考える。

何をしてても考える。
注意散漫となりミスをしたりする。
最近はこの傾向がみられる。

でも沢山のことを知っている人と話すのは面白い。
難しい話は好きだ。理解が追いつかないくらい難しい方が好きだ。いちいち頭のメモにリストに入れてのちに調べチェックする。これ努力ではない。楽しいそれだけ。

この楽しさは他者との営みではなくマスターベーション的な営みだ。
ロジックが伝わらないと感情をあちらこちらファンネルのように飛ばし、多角的に話を進めようとするが。
そうすると自分の意見はない。
一般的にという感じで話を進めてしまう傾向が僕にはある。主観で話したりする事があまりなくなった。

そこである言葉を思い出す。
結局、君は何が見えるの?

この言葉にはハッとする。

この言葉を自問自答しながら全てを見るようになる。
つまり多角的にひとつの出来事をみる。
その解釈達は僕の感情の粒子を少なからず持っているから僕の意見も一部入っているのではないかと考えるが、100%自分の意見ではない。
100%自分の意見である必要があるのか。
また、そんなことあり得るのか。
僕はまだわからない。

正しさとは何なのか。
ずっと考えている。
各々の世界の中の正しさは何なのか。
共通する正しさはあるのか。
僕にはまだわからない。

憲法や法律、ルール、マナー。
そんなものではない。
僕は正しさとは何なのかを知りたい。

僕はまだ未熟だ。
沢山の間違いを犯すだろう。
でもまだ人生は長い。
いつか丸く収まる。そう思っている。
その時誰もいなくても仕方がない。
僕は僕なりに必死になった結果であるならば。
その必死が中途半端になるよりかは
僕は僕の人生を歩んだと自信を持って言えるだろう。

第2の人生なんだ。
一度死んだようなものだし。
僕は楽しさを1番大切にしている。
それを忘れないように僕の心にもしまっておかなければならない。
どんな場合でも楽しさを感じさせるようになれたらいいのだけど、僕は感情表現も薄く顔も動かない。
だが心では踊っていたりする。
ずっと冷静で、ちょっとしたことに深く考え込んでしまう。僕はそんなやつだ。
素直に発した言葉は、すぐ酸化して他者に届く。

私たちの目は平等ではない。
何十ものフィルターの上、物事を見ている。
そのフィルターに気づいたときに
また階段を登れますか?

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