なぜ思い通りにならないのか、その答え
著者ヴァジム・ゼランドのタフティ・ザ・プリーステスを読みました。
表紙に巫女、引き寄せ・量子力学・願望実現と直球の文言が入ってるので読む人をかなり選びそうです。
内容的には現実構築メソッド中心、しかも巫女が読者に語りかけてくるというスタイルなのですが、この程度で動じていてはそもそも土台に立っていないということかも。いや、違うかも。
本書の中心になっている具体的レッスンは、おそらく他のレビューで色々書かれているのでここではあえて飛ばします。
覚えておきたいのは、なぜ思い通りにならないのか、それはあなたが台本に従って生きているからだ、という部分です。
台本というのは、宇宙の計らいのような何か、または行動プログラムみたいなものです。
その台本は、人間の意志でどうこうできるような何かではない。
ただし、それが台本であると見抜けば、一部差し替えが可能になる。
道自体はどうやっても消せないんだけど分岐はたくさんあって、それは意図して選べるよ、みたいなニュアンスです。
ここらへんは多世界解釈やパラレルシフトを前向きに捉えてないと、本を閉じてしまいかねない部分かもしれません。
でも確かに、いつどこで生まれて育ち、誰と出会うかというのは、宇宙プログラム的だと言えます。
何か進路を選ぶ際には自分自身で決めていると思ってるけど、台本という概念に気付くまでは、映画の中からは出て来られない登場人物のようなものです。
劇中の人物は、これが劇だという発想を持って外に飛び出すことはできません。
こうなると、たまに良いこともあって、思い通りにいかない時もある、けどそれが人生だから!と謎に開き直ってシナリオを生きることになります。
ただ著者は、いや、思い通りにいかないのはその台本に気付かず従っているからだろう、と。
とはいえ私たちはこの台本には直接介入できず、気が付いたからといって、さぁ脱出するかというわけにはいきません。
ここが微妙なところです。
著者は、台本の中で生きていてもそれにちゃんと気付いていれば、現実の流れの乗り換えが可能だと書いています。
内的意図と外的意図という単語が出てきますが、つまり決して自意識の焦点の合わせどころまで選べないとは言っていません。
虚しい操り人形ではないわけです。
ただし細かい流れの指定や想像(あの人がああなって、コレが起きて、だから結果はこうなる!)はやめておいた方が良いとも書かれてますね。
なにせ台本があるので!
自己啓発系のメソッドとかワークって、それに取り組む自分自身を徹底的に客観視する機会はあまりない気がします。効果出てるの?とか、どのくらいやればいいの?とかは頭で考えるけど。
そういう思考が続くといつの間にか例の台本に飲まれるのだという視点を持つと、ちょっと面白いですね。
自分が望むゴールのコマに焦点を向けたら、あとは今現在の構築です。
構築って聞くと胡散臭いけど、要するに仕事でも趣味でも、今自分がこうしたい、やりたい、できるな~という生活を送ります。
ここで究極のアレ、今を生きる、というやつです。以前と変わってないとか、どうなるんだろうとか、無闇に過去未来に思考を飛ばさず過ごします。
時には不都合だと感じる出来事も起きてしまいます。今を生きるのは、その時の自然な立て直しに役立つ方法なのです。
個人的にひとつ思うのが、周りの出来事に無関心になるのとは違うということです。
好都合と不都合だけを自然宇宙的な流れと見なすのではなくて、観念そのものを入れ換えてみるのが良さそうです。
日常の中で基本的には台本に気付きながら動き、大枠では台本のなかで生きるという感覚でいると、そうではない周りの人たちがよく見えてきます。
その人たちは感傷に浸っていたり、夢を叶えて幸せの絶頂にいたり。いろんな人がいます。
台本だとか、現実だとかそれが幻想だとか、無理に伝えたり知る必要はないのだと著者は最後に書いています。
私もそう思います。と言いながら結局こんなとこで書いてしまうわけで。
こそっと広まればいいのになと思いつつ投稿します。
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