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欲本日記、はじめます。

「欲本」と書いて「ほっぽん」と呼んでみる。ほしい本のことである。その本への気持ちを、ここに記録として残しておこうと、ふと思い立つ。

夕食後、皿洗いもせず、シャワーも浴びずに書いている。今日の夕方、「欲本を"ほっぽん"と読ますの、ええやん!」と仕事帰りに自炊しているなか、ふと浮かんだのである。

『極悪女王』を観ながら夕食を食べていても、頭の中は「ほっぽん」「ほっぽん」である。気づくと、なにかの試合の決着がついていた。とても大事なシーンだったと思う。

こりゃいかん。とりあえずマガジンつくって、書いておかなければ、とその後の作業を放り出し、パソコンに向かった。

本が欲しい、けど買えない

毎月本に使うお金の予算として「5千円」という金額を設定している。この予算内におさまった試しがない。だいたい1万円を超え、1万5千円になることは珍しくない。今月は1万7千円ほど使っている。

「5千円」というのは、ある意味で幻想の数値であり、自分への抑制装置でもある。ほんとうに5千円でおさまったときが1回だけあった。それっきりである。でも、自分に「5千円までだぞ」「もう予算超えてるぞ」と言い聞かせることが、ある種の抑制装置にはなっている気がする。

だから、本屋にいってほしい本があっても、買えない。「ほしい」という気持ちをぐっとこらえて「来月買うぞ」「あーほしい」とか言いながら、書店をあとにする。

それで最近、ふと「本を買わなくても楽しむ方法はないか」という考えが浮かんだ。やっぱり本は所有したい。紙でほしいと思っている自分としては、「本」と「買う」という2つの単語が「楽しみ」の化合物として密接に関係している。

いや待てよ、買わなくても「本」を楽しむにはどうしたらいいのか。

書店は行くだけで楽しい

自宅に積読している本は、山ほどある。おそらく300冊くらいであろう本たちの40%ほどは積読だと思う。そういう意味でいうと「本」を「買う」ことをしなくても、自宅の本棚から読みたい本を探せば、十分に楽しめる。

ただ、それでも書店に行きたいのだ。あれはディズニーランドだ。気づくと3時間経っていることなんてざらにある。

書店には行きたい。そこには、ほしい本がたくさんある。でも、ぜんぶは買えない。そのときの財布の状況次第で、1冊も買えないときもある。

書店には行きたいが、毎回本は買えない。それでも楽しむためにはどうすればいいか。

こんなこといちいち考えなくても、なんも考えずに書店に行くのは楽しい。それでいいのだ、ともいえる。でもここにもうちょっと「楽しみ」を加えたいのである。

書店にいくたびにリストをつくる

それで思いついたのは、書店に行った日に「これほしい!」と思った本たちのリストをつくっておくのだ。書店にいくたびに、このリストを作成する。ぼくの場合は、アマゾンの欲しいものリストとして「書店探訪 20241020」などと作成している。

これがなかなか興味深い。行った日によって、気になっている本が変わるのだ。あの日は小説が多めだった。お、この日は経済系が多い。なんて感じ。何度もリストに入ってくる本については「やっぱりほしい」と再確認する。

このリストがたまっていくことで、自分の好奇心のうねりのようなものが「本」としてでてくるような気がして、「新しい楽しみ見つけたぞ」となった。

昨日なんて書店に行っていないのにリストをつくった。なんとなく、その日の好奇心を記録しておきたかった。

欲本(ほっぽん)とは

これはどうやら存在しない言葉らしい。検索してもでてこないし、ChatGPTに聞いても「存在しません」と言われた。

さらに、「欲」という漢字が単語の先頭で使用されるときは「よく」と読むようである。欲情、欲望、欲心などがそうである。「ほっ」と読むことはない。「欲する」だと「ほっ」と読む。

となると、“欲本”の読み方は「よくほん」「よくぼん」になる。うーん、ちょっと響きが好みではない。それで、「欲」をまったくイレギュラーな形で読ませてもらう形で「ほっぽん」と読んでみると、あら、なんといい響きだろう。なんかポップである。

“欲本”と書いて「ほっぽん」と読んでみたい。

欲しい本についての記録

もともと本に関するアウトプットはしたいと思っていて、現在は買った本や感想などをスレッズにたまに投稿しているくらいである。

ただ、やっぱり思うのは「本について発信する」となったとき、どうしても「読んでから」という前提がからんでくることである。

ある本を買った、借りた。これはよくみる発信ケース。自宅にこういう本があります。これら、積読してます。などなど。そして、読んだ感想である。

ぼく自身、「本」にまつわるイベントでテンションが一番上がるのは、本を買ったときである。欲しい本を知ったときもうれしいが、それはその本を所有する(買う)までの助走的な感情という感じだ。

それを「この本がほしい」だけで発信してみてはどうか、と考えてみたのがこの「欲本日記(ほっぽんにっき)」である。その本を所有はしていないが、いつかほしい、ああほしい、その気持ちをぶちまけるのである。最終的にその“欲本”を手に入れることができれば最高だが、その手前段階の「ほしい気持ち」を堪能するための記録である。

欲本日記、どれくらい更新するかわからないが、ここでほしい本の記録を、その気持ちを残していく。

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