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【百年ニュース】1921(大正10)9月20日(火) ドイツ軍「タンク・エース」クルト・クニスペルがズデーテン地方ザリスフェルト(現在のチェコ共和国ズラテー・ホリ)で誕生。第二次世界大戦で最多の敵戦車撃破168両を記録した。1945年4月アドルフ・ヒトラー自殺の2日前,東部戦線で戦死した。

ナチスドイツの「タンク・エース」と呼ばれた最強の戦車兵クルト・クニスペル(Kurt Knispel)が、チェコスロバキアのズデーテン地方ザリスフェルトで誕生しました。現在のチェコ共和国ズラテー・ホリ(Zlaté Hory)です。

もともとは地元で自動車工場の見習いとして働いていましたが、1940年5月15日にドイツ軍の招集を受け従軍し、戦車の砲手として訓練を受けました。11月には第12装甲師団に配属され、ナチスドイツの25トン級戦車であるIV号戦車に乗務しました。

1941年6月22日に始まる独ソ戦、バルバロッサ作戦に参加し、中央軍集団としてミンスクとスモレンスクの攻略にあたり、のち北方軍集団をサポートするためレニングラードの包囲戦に参加しました。1943年からは第503重戦車大隊に配属となりのティーガーI、ティーガーIIに搭乗しました。1944年6月6日のノルマンディー上陸作戦のあとは、北フランスで連合軍と戦いました。

クルト・クニスペルは第二次世界大戦中、最多の敵戦車撃破車両数、168両を記録し「タンク・エース」と呼ばれました。しかし1945年4月28日、アドルフ・ヒトラーが自殺する2日前、東部戦線で戦死しました。死亡した地点はチェコスロバキア南部のズノイモ地区のヴルボヴェツ(Vrbovec)でした。享年は23歳でした。

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