【百年ニュース】1922(大正11)年1月15日(日) のちのカトリック大司教ポール・マルチンクスが米国イリノイ州で誕生。シカゴマフィアと深い関係をもつ聖職者。1971バチカン銀行総裁。脱税等でFBIの捜査対象となった同行の改革を目指すヨハネ・パウロ一世が1978年就任わずか33日で死亡。暗殺疑惑がある。
カトリック大司教ポール・マルチンクス(Paul Casimir Marcinkus)が米国イリノイ州シカゴ西10㎞の郊外シセロで誕生しました。「バチカン銀行」元総裁で、シカゴマフィアと深い関係をもつ聖職者とされています。
生い立ち
ポール・マルチンクスはリトアニア移民の息子で、5 人兄弟の末っ子でした。父親は窓拭きなどの仕事をし、貧しい家庭で育ちました。シカゴ中心部にあるカトリック司祭養成のためのキグリー大司教予備神学校(Archbishop Quigley Preparatory Seminary)、のちセント・メアリー・オブ ・ザ・レイク神学校(University of Saint Mary of the Lake)で学んだのち、 1947 年 5 月 3 日にシカゴ大司教区の司祭に叙階されました。ポールは聖クリスティーナ教会と聖十字架教会の両方で教区を担当しました。
1950 年バチカンに渡り、グレゴリオ大学に留学中にジョヴァンニ・バティスタ・モンティーニ枢機卿(のちの教皇パウロ 6 世)と親しくなりました。1959 年 12 月からはローマの国務局で働き、教皇ヨハネ 23 世や教皇パウロ 6 世の英語の通訳を務めました。パウロ 6 世のもと海外出張にしばしば同行し、彼の身長と筋肉質の体格から、ポール 6 世の「非公式の護衛」としての役割を果たし、「ゴリラ」というあだ名が付けられました。
バチカン銀行総裁
1971年にバチカン銀行の総裁に就任しましたが、ポール・マルチンクスの就任中にバチカン銀行は脱税などの容疑で、しばしばFBIの捜査対象となりました。1978年後ろ盾であったポール 6 世が死去し、改革派のヨハネ・パウロ1世が教皇に就任しました。ヨハネ・パウロ1世は悪名高いバチカン銀行の改革に前向きであるとされていました。しかしヨハネ・パウロ1世は就任わずか33日で死亡。当時ポール・マルチンクスおよびシカゴ・マフィアにより暗殺されたのではないかと噂されました。
ポール・マルチンクスは跡を継いだ教皇ヨハネ・パウロ2世の庇護のもと、1989年までバチカン銀行の総裁を勤めたあと、1990年にバチカンを離れ、シカゴ大司教区として米国に戻りました。その後はアリゾナに引退し、サン・シティの聖クレメント・オブ・ローマ教会で副教区司祭として暮らしました。
ゴッドファーザー
1990年公開の映画『ゴッドファーザー・パート III』では、俳優のドナル・ドネリーがギルデイ大司教を演じましたが、これはポール・マルチンクスがモデルとされています。2006年2月20日に死去、享年は84歳でした。