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【百年ニュース】1921(大正10)7月7日(木) 欧州訪問中の皇太子裕仁親王の庶民的姿を伝える報道を受け,帰国後も同様に自由なスタイルで国民と接する方針との宮内省談話。式部次長の伊藤博邦より。背広を着て電車に乗り銀座で買い物をする位が良い。大正デモクラシーの一側面。
宮内省が皇太子裕仁親王に関し注目すべき談話を発表しました。
欧州訪問中の裕仁親王がロンドンやパリで買い物をするなど、たいへん庶民的な姿を伝える報道がされていましたが、裕仁親王は帰国後も同様に自由なスタイルで国民と接する方針との宮内省の談話が出ました。伊藤博文の嗣子であった子爵の式部次長の伊藤博邦によるものです。
伊藤によれば、背広を着て電車に乗り銀座で買い物をする位が良い、とのことです。当時の日本の皇室は、裕仁親王も含め、軍服か金ピカの大礼服を着用することが慣例になっていましたが、皇太子は欧州歴訪中しばしば、欧州の王室にならい、よりカジュアルな背広を着用しました。前年に日本を訪問したルーマニアの皇太子カロル(のちのルーマニア皇帝カロル二世)は、公式行事を除いては、背広を着用しており当時の日本では注目を集めており、これが影響していました。
また伊藤は、日本の皇太子も、専用教育機関である東宮御学問所ではなく、一般の学校に通うべきだとし、また移動に際して電車や通行人を必要以上に止めたりすることは不必要としました。鉄道沿線に巡査が2時間も3時間も直立警戒するようなことは断じて不要と述べています。
これら伊藤の意見も、社会全体に自由な空気が流れていた「大正デモクラシー」の一側面と捉えられるかも知れません。しかし実際には数年後、大正から昭和に時代が移ると、自由な空気どころか、軍部による天皇の神格化が進み、たいへん息苦しい世の中となってしまいました。
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