【百年ニュース】1921(大正10)12月11日(日) 民法学者「日本家族法の父」穂積重遠に長男重行が誕生。穂積重遠は渋沢栄一の孫,妻は児玉源太郎の三女ナカ。東京帝大法学部長を三度務め,戦後は最高裁判所判事に。この日誕生した長男穂積重行は近代イギリス史専攻の西洋史学者となり大東文化大学名誉教授。
民法学者で「日本家族法の父」と呼ばれた穂積重遠に長男の重行が誕生しました。
穂積重遠の父は東京帝国大学法学部学部長でのち枢密院議長となる法学者の穂積陳重、母は渋沢栄一の長女歌子になります。妻は児玉源太郎の三女ナカ。児玉源太郎の五女のツルは木戸幸一の妻ですので、穂積重遠と木戸幸一とは義兄弟になります。
穂積重遠は東京帝大法学部長を三度務めました。1930年-1933年、1936年-1937年、1939年-1942年の三回です。1945(昭和20)年8月、まさに終戦直前ですが、当時の皇太子(現在の明仁上皇)の東宮大夫・東宮侍従長に就任しました。1945年8月7日の木戸幸一内大臣が昭和天皇に内奏し、天皇は「穂積とは重遠か、彼ならよし」と応えたとされます。穂積重遠が日光に疎開していた皇太子を訪れたところで終戦を迎えました。戦後は最高裁判所判事となりました。
さてこの日誕生した穂積重遠の長男穂積重行も学問の道に進み、近代イギリス史専攻西洋史学者となりました。1990(平成2)年から1993(平成5)年まで大東文化大学の学長をつとめ、翌年大東文化大学の名誉教授となりました。2014(平成26)年11月3日に死去しました。享年は92歳でした。
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