【百年ニュース】1921(大正10)9月16日(金) 日本画家・版画家の伊東深水(23)と妻好子に次男の満(伊東万燿)誕生。深水は橋口五葉らの新版画運動に参加し精力的に作品を発表。満も父に師事し画家に。また1935(昭和10)には非嫡出子の娘,勝田雪会が誕生。雪会は宝塚歌劇団に入団,女優の朝丘雪路となった。
当時23歳の若き日本画家・版画家の伊東深水と、その妻好子に次男の満が誕生。深水は橋口五葉ら当時の新版画運動に参加し、精力的に作品を発表していました。満誕生の翌1922(大正11)年には平和記念東京博覧会で作品《指》が2等銀牌を受賞し頭角を現しました。歌川派浮世絵の正統を継ぐ、日本画独特のやわらかな表現による美人画で人気を博しました。その多くの美人画のモデルとなったが、妻の好子でした。
この日生まれた満は成長すると、父深水に師事し、同じく画家となる道を歩み、伊東万燿と名乗りました。現代的な人物群像を得意とし、1967(昭和42)年には作品《踊る》で内閣総理大臣賞、翌1968(昭和43)年には作品《女》で日本芸術院賞を受賞し将来を嘱望されましたが、1970(昭和45)年11月26日、わずか49歳で食道癌により死去しました。
なお父の伊東深水のほうですが、モデルもつとめた妻の好子のほか、築地の料亭「勝田」の女将であった勝田麻起子とも親密な関係にあり、1935(昭和10)、深水が38歳のときに勝田麻起子との間に非嫡出子の娘,勝田雪会が誕生しました。伊東深水は雪会を溺愛したと言います。
そしてこの勝田雪会は3歳のころから日本舞踊を始め、山脇学園中学校を卒業すると宝塚歌劇団に入団、16歳で宝塚の舞台『人間万歳!』の主役に抜擢され、19歳で松竹に移籍、のち多くのテレビや映画に出演しました。特に1960年代にはテレビ番組「11PM」のアシスタントとして司会の大橋巨泉とともに人気を集めました。また一面ではジャズ歌手としてNHK紅白歌合戦に10回出場。また日本舞踊においては父の名を冠した深水流の家元としても知られています。さて女優でもタレントでもありまた歌手、日本舞踊家元でもあるこのマルチな女性は誰でしょうか。本名は勝田雪会、芸名は朝丘雪路です。
朝丘雪路は1973(昭和48)年に俳優の津川雅彦と結婚。オシドリ夫婦として知られていました。そして3年前、2018(平成30)年4月27日に朝丘雪路は死去、享年は82歳でした。そしてこの妻の死去から3カ月後の8月4日、夫の津川雅彦も後を追うように死去しました。その年、青山葬儀所では夫婦合同のお別れの会が関係者約800人が参列して盛大に開かれました。墓所は京都、枯山水の石庭で有名な龍安寺、朝丘雪路と津川雅彦の夫婦は2人仲良く眠っています。
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