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【百年ニュース】1921(大正10)8月11日(木) 前田正名が死去,享年71。1850(嘉永3)誕生。父は薩摩藩医前田善安。薩長同盟の密使となり,坂本龍馬から短刀を貰った。五代友厚らの影響を受け,明治政府内務省・大蔵省で殖産興業政策立案の中心人物となった。農商務省次官となるが,陸奥宗光と対立し下野した。
明治政府の殖産興業政策をリードした前田正名が死去しました。享年は71歳でした。前田正名は1850(嘉永3)年に薩摩藩の藩医でありました前田善安の次男として誕生しました。
正名は9歳で薩摩藩の学者でありました八木称平のもとで洋学を学びます。この八木称平というのは面白い人物で、天保3年(1832)生まれといいますので、前田正名の18歳年上になります。よって前田正名が八木に入門したときには、師匠の八木は31歳だった、ということになります。八木は島津斉彬の命で、緒方洪庵の適塾で2年間洋学を学びまして、薩摩に帰って来て地元鹿児島で洋学の塾を開いたばかり、ということになります。
また八木はこれまた斉彬の命令で琉球との密貿易を行っていますが、ここで少年だった前田正名に密貿易を手伝わせているんですね。これがのちの前田正名の殖産興業策について考えると興味深い点です。
その後前田正名は長崎に藩費で留学しまして、同じ薩摩の五代友厚の強い影響を受けることになります。五代は天保6年(1836年)生まれですので、前田正名の14歳年上になります。もちろん五代も明治の日本の実業界、特に大阪の経済を引っ張った人物です。前田正名は八木称平や五代友厚の影響を受けながら、あるいは方針に沿いながら、実務的なプランを練るという官僚になりました。
特に有名なのが1879年(明治12年)に前田が出しました『直接貿易意見一斑』という意見書です。ここでは下記の3つの意見を提唱しています。
1. 中央銀行の設立
2. 貿易会社の設立
3. 産業カルテルの設立
さらに大蔵省・農商務省の幹部・理事官になりまして、1884(明治17年)国内産業の実情を調査した大部の報告書『興行意見』全30巻、というものを提出して影響を与えました。
ちなみに前田正名の奥さんは、大久保利通の姪になります。よく知られていますが、大久保には3人の妹がいまして、きち、すま、みね、という三人です。大河ドラマの西郷どんで、兄を支える妹たち、ということで三姉妹が描かれていました。その末っ子のみね、このみねは、同じく薩摩藩士で警察庁の創設に関わったことで有名な石原近義に嫁ぎまして、石原みねとなったんですが、この石原親義と石原みねの次女が石原いち。これが前田正名夫人ということになります。
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