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【百年ニュース】1921(大正10)10月20日(木) 舞踊家の加美早苗が誕生。本名は辻野美津枝。1936(昭和11)宝塚音楽歌劇学校。芸名を雪城美沙子としダンスの名手として注目された。戦後1949(昭和24)貝谷八百子のバレエ『サロメ』に衝撃を受け,翌年宝塚を退団しバレエ転身。加美早苗と名前を変え活躍した。
舞踊家の加美早苗が兵庫県川辺郡長尾村(現在の兵庫県宝塚市)で誕生しました。本名は辻野美津枝。三人姉妹の末娘でした。幼少時の美津枝は姉妹から「ツーコ」と呼ばれていたそうです。小学校5年生で実母と死別、継母に馴染めなずに無口で内向的な性格になったと言われます。
三人姉妹の長女こゆきの薦めで美津枝は1936(昭和11)年に宝塚音楽歌劇学校に入学すると、もともと得意だった洋舞を磨き、ロシア帝室バレエ学校出身のバレエ教師エレナ・オソフスカヤ・メッテルのもと頭角を現します。
宝塚歌劇団26期生として1937年8月に『ハワイ・ニューヨーク』で初舞台。芸名は清楚な印象から雪城美沙子となりました。ラインダンスからスタートして徐々にダンスシーンで主役を任されるようになり、人気の男役の相手としてジャズ、モダン、タップなどを踊りこなしました。
宝塚の看板ダンサーとして注目をあつめたあとも熱心に練習と研究を続け、戦後は宝塚の「ダンス専科」に在籍しました。しかし1949(昭和24)年、貝塚バレエ団が有楽座で上演したバレエ『サロメ』での貝谷八百子の踊りと存在感に圧倒され衝撃を受けると翌年宝塚を退団しバレエに転身。一介の新入生として貝塚バレエ団に入門しました。また「雪城美沙子」の芸名を返上し、加美早苗と名前を変えました
以降加美早苗は貝塚バレエ団でプリマとして活躍するだけでなく、1966(昭和41)貝谷芸術学院の教師となり、また貝谷八百子の身の回りの世話もする秘書役もこなしました。生涯の師と仰いだ貝谷が1991(平成3)年に死去すると、加美早苗はその遺志を継ぎ貝谷芸術専門学校の校長となりました。2000(平成12)年8月30日に心不全で死去、享年は78歳でした。
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