見出し画像

【百年ニュース】1920(大正9)4月7日(水) 大阪の増田ビルブローカー銀行が実質破綻。270万円の資金ショート。同行に対し結城豊太郎日銀大阪支店長が無制限で救済融資を実施。住友銀行等大阪7銀行が連帯責任を負う。同行破綻の報で株式市場は再度暴落し、株価は3月15日のほぼ半値に。午後は停会。

増田ビルブローカー銀行を主催した増田信一は、1881(明治14)年8月24日増田信之の長男に生れ、同年創立の大阪製銅をのちに父から相続、1902年増田合名会社と改称した。1911年増田銀行に信託部新設し増田ビルブローカー銀行とし業容を拡大。1919年に中央生命に出資し乗っ取りを謀るも失敗した。

画像1

画像2

画像3

画像4

画像5

画像6

画像7


よろしければサポートをお願いします。100円、500円、1,000円、任意のなかからお選び頂けます。いただいたお金は全額、100年前の研究のための書籍購入に使わせていただきます。サポートはnoteにユーザー登録していない方でも可能です。ありがとうございます。