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【百年ニュース】1921(大正10)7月29日(金) アドルフ・ヒトラーが国家社会主義ドイツ労働者党の党首に就任。 のちムッソリーニのローマ式敬礼を模倣し採用し,Führer(指導者=総統)と呼ばれるようになる。 徐々に突撃隊の活動により地元ミュンヘン政界で知名度得て,1923ミュンヘン一揆で一躍注目される。
アドルフ・ヒトラーが国家社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチスの党首に就任しました。ヒトラーは1919年9月頃にナチスの前身になりますドイツ労働者党に入党しました。そしてビアホールなどでの演説で徐々に党内で頭角を現しました。
1920年1月5日にアントン・ドレクスラーが党首となり、党名を国家社会主義ドイツ労働者党、いわゆるナチスに変更しました。 当初はドレクスラーとヒトラーの関係は良好でしたが、ヒトラーが党内で力をつけるにしたがい対立する場面が多くなり、結局100年前の今日、1921(大正10)7月29日(金) にドレクスラーは名誉議長に棚上げされ、ヒトラーが新党首となりました。
ムッソリーニのローマ式敬礼を取り入れ、Führer(指導者=総統)と呼ばれるようになったのもこの頃です。その後突撃隊の活動などでミュンヘン政界で著名度を上げたヒトラーは、ミュンヘン一揆を経て一気に全国規模の知名度を得て躍進することになります。
ということでナチス党のリーダーは最初からアドルフ・ヒトラーであった、アドルフ・ヒトラーがゼロからナチス党をいわば創業した、と誤解されていらっしゃる方がおりますが、事実はこのように党内で演説力を買われて徐々に力をつけていったヒトラーが、最終的に党内のライバル、あるいは先輩と言っていいかもしれませんが、これらを排除致し、リーダーの座に収まったというのが事実です。この点は中国共産党の毛沢東にも通じるところがあるかも知れません。
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