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【百年ニュース】1921(大正10)7月15日(金) 孫維世が四川省南渓県で誕生。父は革命家の孫炳文。1927父の暗殺後は母の与任鋭が育てたが,1936父の親友で子供のいなかった周恩来の養女となった。モスクワで学び,帰国後は話劇の女優兼演出家となったが,文化大革命で迫害を受け,江青の命で獄中で殺害された。
孫維世(sūn wéishì)が四川省南渓県で誕生しました。父は革命家の孫炳文(sūn bǐngwén)。母は与任鋭(yǔ rénruì)。
孫維世が生まれたこの頃、父は中華民国の四川省造幣局で工場長を務めていましたが、翌1922年9月に、朱徳(zhū dé)とともにドイツへ留学します。朱徳はのちに人民解放軍の建軍の父となる人物です。二人はドイツで同じくヨーロッパ留学中だった周恩来(zhōu ēnlái )と出会い、ベルリンで中国共産党に入党しました。
1927年4月、蒋介石による上海クーデター、いわゆる4.12クーデターで父の孫炳文が暗殺され、その後は母の与任鋭が、このときまだ6歳だった孫維世を育てました。
1936年、孫維世が15歳だったとき、父の親友であり、また子供のいなかった周恩来、そしてその妻鄧穎超(dèng yǐngchāo)養女となりました。1939年、養父となった周恩来のアドバイスでモスクワへ留学し演劇を学びました。
帰国後は中国人民解放軍で文化工作団に参加し活動しました。孫維世は話劇の女優および演出家となり名声を得ますが、文化大革命の時代には同じ女優で毛沢東の妻となった江青により激しい迫害を受け、最終的には逮捕され獄中で殺害されました。文革の嵐のなかで周恩来も自分の娘を救うことが出来ませんでした。
一説には殺害される直前の孫維世は拷問を受け,父である周恩来を陥れるための嘘の証言を求められたものの,その要求に屈せず,父の政治的ライバルであった江青の攻撃から,父を守ったとも言われています。
沈国凡『周恩来養女孫維世』当代中国出版社,2014
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