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【百年ニュース】1921(大正10)12月25日(日) アナウンサーの宮田輝が東京都足立区で誕生。1942(昭和17)明治大学を卒業しNHKに入局。1953(昭和28)NHK紅白歌合戦で司会を初めて担当。通算15回司会を務め大晦日の顔として親しまれた。1974(昭和49)参議院議員。自民党大平派所属。1990(平成2)没,享年68。

アナウンサーの宮田輝みやたてるが東京都足立区で誕生しました。1942(昭和17)に明治大学を卒業しNHKに入局。同期入社には同じく紅白歌合戦で活躍し参議院議員にもなった高橋圭三がいます。

名古屋放送局を経て東京に戻り、ラジオの報道番組を務めたあと、1949(昭和24)年に『NHKのど自慢』の司会を担当して人気を博しました。また歌謡クイズ番組である『三つの歌』では出場者との軽妙でユーモラスなやりとりで人気番組に育てました。番組冒頭の「みんなに親しまれた古い歌、だれでも知っている新しい歌」の口上は当時広く知られていました。

1953(昭和28)年には第3回NHK紅白歌合戦の司会に抜擢されて注目されました。以来1973(昭和48)年まで通算15回司会を務め大晦日の顔として親しまれることになります。

1974(昭和49)年にNHKを退職し、第10回参議院議員通常選挙全国区に自民党(大平派)から立候補。高い知名度を活かしてトップ当選を果たしました。全国区の2位は市川房枝、3位が青島幸男、4位が 鳩山威一郎でした。この選挙は投票率が史上最高の73.20%に高まったことで知られています。田中角栄首相が率いる自民党が参院過半数維持に必要な63議席に1つ及ばない62議席にとどまり、空きの退陣につながった選挙でした。

宮田輝は以降3回参議院選挙に出馬しいずれも当選。1978(昭和53)年に成立した第一次大平正芳内閣では農林水産政務次官に就任しました。1974(昭和49)年から1990(平成2)年まで26年間に渡り活動しましていましたが、議員在職中のまま68歳で死去しました。死因は癌でした。

宮田輝(1921-1900)
1968(昭和43)年のNHK紅白歌合戦
NHK紅白歌合戦の総合司会宮田輝
1974(昭和48)年に宮田輝が参議院議員選挙に初当選


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