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【百年ニュース】1921(大正10)12月13日(火) ワシントン会議において四カ国条約が調印される。太平洋の島々おける領土・権益の相互尊重と紛争処理方法を定める。この条約に基づき日英同盟は満期更新されず廃棄されることとなった。二国間同盟から多国間安全保障体制へと移行。
11月12日 より開催中のワシントン会議において四カ国条約が調印されました。アメリカ、イギリス、日本、フランスの四か国により、太平洋の島々おける領土・権益の相互尊重と紛争処理方法が定められました。そしてこの条約に基づき日英同盟は満期更新されず廃棄されることとなりました。日本の安全保障は二国間同盟から多国間体制へと移行したことになります。
四ヵ国条約の推進と日英同盟の廃棄を主導したのはワシントン会議の主催国である米国でした。同国の首席全権としてワシントン会議の総会議長をつとめたチャールズ・ヒューズが会議を通じて主導権を握り、主題である海軍軍縮問題と中国の門戸開放・機会均等など様々な議題で中心的な役割を果たしました。
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四ヵ国条約は太平洋の現状維持、すなわち事実上の相互不可侵を約したものです。正式名称は「太平洋方面ニ於ケル島嶼タル属地及島嶼タル領地ニ関スル四国条約並同条約追加協定」といいます。この条約により米国がかねてより更新に反対していた日英同盟の破棄が実現されることとなりました。
日英同盟の廃棄は海軍軍縮と密接に関係しています。米国は日英同盟が続く限り、米国の海軍力は日英共同の連合戦力を基準にし、その二国に対抗できるだけの建艦を続ける計画でした。よって日英同盟が存続する限り米国の海軍力が突出して増大していくことは明白でした。
その展開を最も恐れたのは日本ではなく英国です。第一次世界大戦で疲弊し休養を必要とする英国は建艦競争の継続を恐れます。ワシントン会議において英国が追及したゴールは、米国の意向に沿った日英同盟の廃棄、そして英米日の三大海軍国のあいだで建艦競争を止めることでした。その英国の意向を日本も十分に理解し、この四ヵ国条約が締結されたのです。
当初英国首席全権アーサー・バルフォアが提案したのは、日英同盟を代替するための日英米の三カ国条約でした。しかし米国のヒューズは、もともと存在する日英同盟に米国があとから参加したような印象を与えることを避けようとし、フランスの追加を提案しました。また複雑なテーマを多く含み関係国も多い中国問題は、この日英同盟廃棄の主題から分離され、九か国条約として別途締結されました。
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