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【百年ニュース】1921(大正10)2月11日(金) 紀元節に3,000名の右翼活動家が明治神宮に集結,「東宮殿下の御婚儀を速やかならしむること」「東宮御外遊延期のこと」を祈願。黒龍会の内田良平や病身の杉浦重剛も姿を見せた。内田は五尺五寸の太刀献上。昨日の婚約続行報道により大きな混乱は起きなかった。
下田歌子(愛国婦人会会長*)来訪,色盲問題につき山縣(有朋,枢密院議長*)の陰謀なりとて山縣を排斥すること意外に各方面に深く注入しあるに驚きたり,一例を言えば朝香宮妃(鳩彦王妃允子内親王*)殿下すら,そのお話ある次第なり,而して斯くまでになりたるは杉浦(重剛)ら一派すなわち男子の運動のみならず,婦人にありては後閑菊野という人,その宣伝に努めたるは大いに力ありしが如しと言えり。
要するに山縣ひさしく権勢を専らにせしため,いたるところに反感を醸したるはこの問題の最大原因なるが如し。
原奎一郎編『原敬日記 第五巻 首相時代』福村出版,1981年,349頁 〔*は引用者註〕
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