「死ぬということ」 黒木登志夫 著 中公新書
著者の黒木登志夫医師は、1936年生まれなので、85歳でこの本を書いたということになります。これだけの充実した本を書かれるとはすごいパワーなので、寿命の限界の117歳まで生きられるかもしれません。
豊富なデータと文献、そして、短歌(59首)、俳句(12句)、詩(5編)や死にゆく人、残された人の文章などが引用されていたり、映画から死を考察したり・・・と、読んでいて、さまざまなイメージが浮かび、理解を助けてくれます。
著者は、「ピンピンころり」ではなく、「ピンピンごろり」がいいのではないかと言います。「ピンピンころり」は、心筋梗塞や脳梗塞など急に死んでしまうことで、長期間病気で苦しむわけではないので、多くの人が「理想的な死」と言うのですが、実は死ぬ瞬間は苦しく、一瞬の出来事なので、家族や親しい人へのお別れも言えず、残された人たちの心の準備もできないと言うことがあります。さらにそれが孤独死などになると、発見されるまでに時間がかかってしまう可能性があります。
一方、著者の勧める「ピンピンごろり」は、すなわち老衰のことです。「おそらく、一番、苦痛がないのは老衰であろう(p.305)」と著者は言います。これは、僕の友人の医師たちからもよく聞くことです。
老衰の場合、死の2〜4週間前には、死のプロセスが見えてくることが多いのだそうです。食欲が減退し、喉の渇きが減り、睡眠時間が増加する、せん妄が起こるなどがあります。
この頃になると、「身体はエネルギーを必要としなくなるので、食欲がなくなっても、水分をとらなくても特に困ることはない。このようなとき、無理に食べさせると、患者は苦しむだけである。氷を口に含ませると、患者にとっても心地がよいし、水分の補給にもなる(p.258)」とのことです。
死の当日、数時間前になると、「呼吸は、深い呼吸と浅い呼吸が繰り返される「チェーン・ストークス呼吸」や下顎を上げてあえぐような「下顎呼吸」になる(p.259)」とのことで、その後、静かに死を迎えます。
僕もこうありたいと思いました。僕は自分自身については、延命治療はなしにしてもらうようにしています。疼痛はなんとかしてほしいと思いますので、将来かかることになるお医者さんたちによろしくお願いしたいと思います。
この本からは、新たな知識もたくさん得ることができました。その一部を紹介すると、
転倒する時間は、意外にも疲れが溜まっている午後ではなく、早朝の3時から増えはじめ、午前6時にピークになるという(27)。ここで見えてくるのは高齢者が朝早くトイレに行くときに、床に置かれていた物に引っかかり転倒する姿である。(p.223)
薬物などによって死に介入する安楽死(図9-5C)は、欧米の多くの国で法的に承認されている。オランダ、スイス、ベルギー、イタリア、ドイツ、スペイン、ニュージーランド、オーストラリアなど13カ国とアメリカのカリフォルニア、ワシントン、オレゴンなど6州である。フランスも現在承認に向けて動きつつある。(p.251)
食べられなくなった人に胃ろうをつけるのは、日本だけらしい。(p.264)
国際的に比較すると、日本は疼痛対策が遅れている。国際麻薬規制委員会の調査によると、疼痛用モルヒネ、オピオイドの使用量は一番多いオーストリアの20分の1、アメリカの9分の1、韓国とくらべても日本は半分にすぎない(12)。(p.267)
寿命の上限は117歳。
この本では、宗教・哲学については全く触れられていません。死後の世界、輪廻転生についても触れていません。内容は全てエビデンスのあるものについて書かれています。
僕は、著者の視点、「「死」こそ常態、その「無の世界」の彼方に蜃気楼のように揺らめく光。そしていつしか消える世界。それがいとしき「生」なのだ。(p.307)」にとても共感します。無から出て無に帰るのは自然なことだと思っています。
「今存在している意識はどこへいくのだ?」と言う人もいるでしょう。僕は意識も(ついでに無意識も)元々無かったものなのですから、死んだら無になるだろうと思っています。誰かの心の中には少し記憶されるかもしれませんが、それも年月が経つうちに希釈されていくでしょう。
でも、100年後に、たまたま僕のこの文章を読んだ人がいたら、その人の心の中で、僕の一部はちょっとだけ再生するのかもしれませんね。