「セラピストの失敗」・・・勝手には始まらない
2001年にアメリカから日本に帰ってきて、なんかおかしい、なんか調子が出ないということがありました。
個人に対するカウンセリングは、アメリカ時代とほぼ同じような感じでできました。日本の場合、最初のセッションでは非常に緊張している人が多いので、その緊張を緩めるというところは工夫が必要でしたが、2回目以降のセッションは、アメリカと日本でそんなに大きく変わるところはありませんでした。
しかし、グループセッションの調子が出ないのです。なんか盛り上がらない。アメリカでは、英語でファシリテートするのは大変だったけど、「◯◯についてどう思いますか?」とグループに投げかけると、あっという間に手が上がり、みなさん口々に発言するので、すぐにグループプロセスが始まり、グループ全体があるときは一つの集合体のように、あるときは万華鏡のように動いていくのです。だから、基本的に、ファシリテーターは、グループプロセスと一緒にいて、時々調整したり、話を整理したりすればいいのです。参加者の満足度も良かったと思います。
でも、日本でグループワークをやると、盛り上がらなかったんです。アメリカ時代と同じように「◯◯についてどう思いますか?」とグループに投げかけても、シーン・・・です。「なんかありませんか?」ともう一度尋ねると、誰か(仮にAさんとしましょう)が意見を言う。「Aさん、ありがとうございます。他にご意見のある方はおられますか?」と聞くと、やはりシーン・・・の後、ポツリポツリと手が上がるのですが、「私もAさんの意見に賛成です」ばかりになります。それで、なんか静かに盛り上がりのないままグループワークが終わってしまいます。後から感想を読むと、「勉強になりました」「とても良かったです」と言う意見が多いのですが、みなさんが本当にそう思っているのか、僕には確信が持てませんでした。
困ったのは、参加者の中に自説を滔々と主張し続ける人がいた場合です。アメリカの場合、そういうケースでも、参加者の誰かが違う意見を述べるので、グループプロセスが成り立つのですが、日本の場合、参加者に不安が広がり、沈黙が支配してしまいがちです。
そのような場合、ファシリテーターが「違うご意見もあるかもしれません。みなさんどうですか?」みたいに参加者に振ったりするのですが、誰も何も言わないなんてこともありました。あるグループワークでは、一人の男性(仮にBさんとします)が、陰謀論的な説をずっと話し続けました。僕の方から何度か介入し、「他の人にも話す機会を・・・」と言った途端、Bさんが怒り出し、しまいには「あなたには、グループをファシリテートする能力はないんだ!」と捨て台詞を残して、会場から出ていかれてしまったなんてこともありました。
それ以降、あれやこれや工夫しました。小グループに分けるということは最初の頃からやっているのですが、それでも意見が偏ってしまうことが少なくありません。アイスブレイクは、かなり取り入れています。割と盛り上がるのは「嘘の自己紹介」です。全く別人になって自己紹介をし、その人に対し、周りの人が質問していくみたいな感じです。また、僕自身に対してなんでもいいから質問をしてもらうということもやることがあります。いわば、僕が囲み取材を受けているみたいな感じですね。その中で、インタビュアーになった参加者さんたちが対話のやり方をマスターしていくという目的です。
そんなこんなで、僕のグループワークも、最近はだいぶ改善されてきましたが、まだまだアメリカ時代のように何もしないでも勝手に盛り上がっていくという状態にはなっていません。
僕の最大の失敗(の一つ)は、「グループは勝手に盛り上がっていくはず」という思い込みがあったことです。アメリカではそういう面がありますが、日本ではなかなか難しいということに気づいていなかったのです。
前述したように、アメリカでは、何かテーマを投げかけるとさまざまな意見が飛び交います。そのほとんどがありがちなコメントだったりするのですが、そのうちに「お〜!」と言いたくなるようなアイデアが出てくることもあれば、「Aha!」と面白いことに気づくことも起こります。ですから、グループワークをすると、ほんの少しテーマが深まったり広がったりするのです。それを何年も続けていったら、その変化は複利計算のように広がっていき、画期的なアイデアが出てくることだってあるのです。
一方、日本では、何も工夫しないと、沈黙→誰かが発言する→みんなが「私もそう思います」→予定調和的にグループが集結する・・・というようなことが起こりがちなのです。つまり、複利計算の逆で、どんどん情報が収束していってしまうのです。これは僕の想像ですが、「おうむ返しこそが共感だ」というような誤解や、「◯◯療法なんてもう古い。これからは凸凹療法だよ」などという主張ばかりになってしまったり、発達障害(の診断)が異常に増えるというような事態になったりということが起こってしまったのだと思います。
2001年に日本に帰ってきた時、放っておいてもさまざまな勉強会などを通してグループプロセスが起こるので、日本の臨床心理は勝手に発展していくだろうと思っていたのですが・・・。どうもそういう方向にには行っていないです。やっと最近、対等性、多様性、不確実性への耐性を重視する「対話」が話題になってきたので、複利計算的な発展が望まれるのではないかと考えています。そして、近い将来、日本発の心理療法が世界を席巻するようになったら嬉しいなと思っています。