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「剣」 三島由紀夫 著 講談社文庫
短編集です。
「剣」は、最も三島らしい、美しい小説だと思いました。全国大会優勝を目指す大学の剣道部の話です。
国分次郎は、美しい完璧な秩序を求めていたのかもしれません。その完璧さにほんの小さな綻びが見えたとき、彼は死ななければならなかったのでしょう。
そこに僕は三島由紀夫の最期のときを重ねてしまいます。
あのとき、自衛隊は三島に従いませんでした。森田必勝は、三度介錯に失敗し、とどめは楯の会の別のメンバーに頼みました。それは、三島の描いていた美しい死ではなかったのかもしれません。
最初に読んだときは、小説の世界観を実社会で実現しようとしても無理だったのか・・・と考えたのですが、今読み返してみて、いや、そうではない、理想が実現しなかったことも含め、小説の通りのことが起きたのではないかと思います。
理想は実現せず、そして、理想を実践しようとする者は孤独です。
国分は、同期の賀川のように、あえて完璧さを破ってしまったらよかったのに。そうしたら楽になっただろうにと思いました。
僕自身は、賀川的なところあると思います。国分的な規律や理想は窮屈で、自由を求めてしまいます。
でも、自由を求めたら、 研ぎ澄まされた美しさは、永遠に失われるのかもしれません。
この短編集に、「月」と「葡萄パン」という小説が載っています。
酒と薬とツイストと夜明けまでのパーティという自堕落で、無知で刹那的だけどエネルギーに溢れる若者たちの物語です。主人公は、ハイミナーラ(22歳の男)、キー子(19歳の女)、ピータア(18歳の男)です。もちろんニックネームですが、いかにもチャラチャラしています。
「私なんか、カゾクの出よ。八人家族の。蝶よ花よ蚤よ虱よ、って育てられたお嬢さまなんだからね」というキー子のセリフが印象的でした。キー子は、戦後没落した家の、ひょっとしたら本当に旧華族のお嬢様なのかもしれません。でも、戦前の価値観なんて、ぜーんぶなくなってしまった。それは、みんな嘘っぱちだったじゃないの、だから私たちは、今を楽しむのよ・・・という宣言にも思えました。
「剣」、「月」、「葡萄パン」が、ほぼ同時期に書かれたということがとても興味深いです。
三島由紀夫の小説は、常に、決して交わらない矛盾を含んでいるのかもしれません。それは、遺作になった「豊饒の海」にもつながっていくテーマなのでしょう。
でも、矛盾しながら、賀川は国分を、国分は賀川を認め、どこかに通じ合うものを感じていました。
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