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「サド侯爵夫人 わが友ヒットラー」 三島由紀夫 著 新潮文庫

僕は、三島由紀夫の小説類はほぼ読んでいますが、これは読んでいませんでした。僕が三島に凝っていたのは高校・大学の頃です。本屋でこれを買うのは、なんとなく憚れて・・・。

そりゃぁ、他にも勇気のいるのはありましたよ。「美徳のよろめき」とか「禁色」とか。でも、そこは、なんとかしれっとクリアしたのですが、「サド侯爵」と「ヒットラー」と、超ダイレクトな題名ですからね〜。若かりし頃の僕には、これをレジのお姉さんにみられてしまうのは・・・。「この高校生は、変わった趣味を持っているのね?」とか、「なんなのこの子、ネオナチかしら?生意気な高校生ね」なんて思われたら嫌じゃないですか?

今はいいですね。アマゾンがあるし・・・。

読んでみて、傑作だなと思いました。

「サド侯爵夫人」の登場人物は女性だけです。三島は「自作解題」の中で、「サド夫人は貞淑を、婦人の母親モントイユ夫人は法・社会・道徳を、シミアーヌ夫人は神を、サン・フォン夫人は肉欲を、サド夫人の妹アンヌは女の無邪気さと無節操を、召使シャルロットは民衆を代表(p.220)」していると書いています。

サド侯爵夫人ルネは、「法・社会・道徳」と、特殊で暴力的な性行為という表現で戦い続けた夫を支え続けます。夫が逮捕されるたびに、彼のために奔走したのです。母親モントイユ夫人は、家族の利益を守るため、冷静かつ計算高く行動する女性でした。サド侯爵の投獄も裏でモントイユ夫人が糸を引いていました。

18年間ルネは夫の帰りを待ち続けていたわけですが、劇の中では、夫が帰ってくる時に別離を決意し、修道院に入るのです。

なぜルネは自由になった夫と暮らさなかったのか?は、歴史上の謎のようです。

サド侯爵は、貴族でありながら、共和主義者として革命に一定の支持を表明したことにより、一時的に民衆に受け入れられたのではないかと思います。そのため、母親のモントイユ夫人は、サド侯爵を家族の安全安定のために手のひらを返したように受け入れたのでしょう。モントイユ夫人は、「あれも根は悪い男じゃない。私の策略もみんなあれの身を守るためだったんだと、わかってくれる日も遠くあるまい。」と、自己愛的自己中心的に都合よく物事を解釈しています。

ルネにとっては、民衆からも母からも支持を得た夫サド侯爵はもはや「法・社会・道徳」に対する反逆児ではなくなったからなのではないかと想像しますが、どうなのでしょう?


「わが友ヒットラー」 には、ヒットラーとレーム、シュトラッサー、クルップが登場します。「長いナイフの夜(1934年6月)」と呼ばれる大規模なナチス内の権力闘争の直前の数日が舞台となっています。

エルンスト・レーム:は、約300万人のメンバーを擁する突撃隊の指導者としてナチス初期の暴力的勢力を主導した軍人で、グレゴール・シュトラッサーはナチス左派として社会主義的思想を展開し、ヒットラーと対立していました。グスタフ・クルップ: 産業界の巨頭としてナチスの軍需拡大に協力しました。

レームは、ヒットラーの戦友で、深い絆があると信じていました。しかし、SAをさらに拡大してドイツ軍(Reichswehr)を吸収しようとし、軍部や保守派と対立するようになると、ヒットラーはレームを疎んじるようになるのですが、レームは気づかないのです。レームを切らないと軍部が反発してヒットラーは大統領になれない。

劇の中では、シュトラッサーは、レームも自分もヒットラーから消される可能性があると考え、レームに造反をけしかけます。レームとシュトラッサーが組めば、ヒットラーを失脚させ自分たちが権力をお掴むことができるのです。しかし、レームは乗りませんでした。

実際には、シュトラッサーも、まさか自分が粛清されるとは考えていなかったようです。

「長いナイフの夜」は、ヒットラーが権力を掌握する最大のターニングポイントだったのでしょう。


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