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「セラピストの失敗」・・・幸せと絶望
C「Tさんは、セラピストですよね」
T「はい」
C「セラピストは、心が傷ついている人に寄り添うんですよね」
T「は・・・はい」・・・なんか、様子が変だぞと思う。
C「先週のセッションで、私の心が傷ついていたことは理解いただけましたよね?!」
T「あっ、はっ、・・・はい」・・・あれっ?確かに最初は辛そうだったけど、セッションが終わった後、笑顔で「なんか心が軽くなりました」って言っていなかったっけ?と思うが、それは言わない。
C「じゃあ、なぜ、先週のセッションで、寄り添ってくれなかったんですか!?」・・・声が大きくなる。
T「えっ?」・・・寄り添っていたつもりだけどと思うが、とてもそれを言い出せる雰囲気ではない。
C「私の言葉に共感してくれてもよかったじゃないですか?」「共感できないで、セラピストをやっていていいんですか!?」以降、延々とセラピストへの非難が続く。
このようなことが、たまにあります。
最初は「・・・ですよね」から始まります。それも「今日は、いい天気ですよね」というような話が広がっていく「よね」ではなく、相手を追い込んで狭めていく「よね」です。
そして、相手を十分狭まったところまで追い込んだ瞬間、「・・してくれてもよかったじゃないですか!?」「なんで、・・・してくれなかったのですか!?」の連打になります。
僕は、この攻撃パターンを「おヨネさんが紅族(くれないぞく)になった」と表現しています(心の中で)。
「おヨネさんの紅族攻撃」には、理由があるはずですから、相手の主張を否定せずに、こちら(セラピスト)は、呼吸を乱さずにクライアントの話を聞くのが原則です。
30代後半の女性のSさんは、最初のセッションで、自分が人間関係でつまづいてしまうのでどうしたらいいかということで、カウンセリングに来られました。
ところが、人間関係のつまずきの話は最初の方で出てきたのですが、中盤から、人間関係がうまくいかなくなった要因の一つとしてSさんが考えている中学校で受けたいじめについての話になりました。急な展開だったので、少し戸惑ったのですが、まずはSさんの話をお聞きすることにしました。
いじめの内容は、かなりひどいものでした。首謀者はスクールカーストのトップにいる2人の女子で、彼女たちをとりまく男女数人が、いじめに加担していました。そして、他のクラスメートは、我関せずの態度をとっていました。担任の先生は何もしてくれませんでした。首謀者たちが先生の前ではいい子だったからです。Sさんには誰も味方がいなかったのです。
いじめの内容は、無視、悪口から始まって、給食にゴミを入れて、10人ぐらいで「食べろ!」と囃し立てるなど悪質なものにエスカレートしていったとのことでした。いじめのことを親に訴えても「お前にも悪いところがあったんだろう。みんなと仲良くしなさい」と取り合ってくれませんでした。実は、親には無視と悪口については話しましたが、給食にゴミを入れられたことは話していませんでした。自分がそこまでのいじめを受けていることを親に言えなかったのです。
Sさんは、この話をやや下を向きながら淡々と語りました。
いじめやDVなどの精神的暴力を受けた人が淡々と暴力シーンについて語るのはよくあることです。感情と距離を置くことによって、表面的な平静さを保とうとするのです。
Sさんは、自分が引っ込み思案で自分から話しかけるようなことができない「陰キャ」だから、いじめられても仕方がなかったと言います。
「陰キャ」だからといって、いじめていいわけはありません。いじめのエネルギーは膨大なものです。攻撃のエネルギーは人数の二乗に比例すると言われます。2人からいじめられれば、自分の4倍のパワーで、5人からいじめを受けたら、25倍のパワーでいじめを受けることになるのです。Sさんの場合、首謀者と周りで囃し立てる連中を合わせると10人以上いたようですから、そのパワーは計り知れないものになります。そんな状況で、Sさんにも原因があるのではないかなんて考えても意味はありません。
僕はSさんに、はっきりと「Sさんは、悪くありません」と言いました。むしろ、そんな状況の中を生き抜いたことがすごいと思い、そうした意味のことを伝えました。
その時、Sさんは下を向いて、ほんの少しの間があった後、子どものように泣き始めました。そして、「誰もそんなこと言ってくれなかった!先生が初めてです」と言います。
誰か一人でも彼女の視点に立って彼女の気持ちにを理解してくれる人がいればよかったのに、これまで誰もいなかったようです。いじめは、中学校1年の2学期から始まり、父親の転勤に伴い転向する3学期末まで続いたのだそうです。その半年の間、Sさんはよく耐えてきたと思いました。
Sさんは、「ありがとうございました」と言って、カウンセリングルームを後にしました。
十分に泣くことができたし、Sさんも少しは楽になっただろう。「先生が初めてです」なんて言われたし、僕はいいセッションをしたのかもしれないな・・などと、僕は愚かにも考えていました。クライアントが泣けばいいセッションというわけではありません。また、「先生が初めてです」というのも、実は危険ワードでもあるのです。全てではありませんが、0−100の反応をする人がしばしば使う言葉だからです。0−100の反応とは、例えば、賞賛からこき下ろしに急展開することなどです。
1週間後に2回目のセッションがありました。
セッションの前、僕は、Sさんは少しはいじめのトラウマから解放されているのではないかと想像していました。
部屋に入ると、Sさんが前屈みの姿勢で、こちらを見ないで座っています。おや?なんか変だぞと僕は感じましたが、何が起こっているのかわかりません。家で何か嫌なことでもあったのかななどと思いました。僕は、椅子に座り、セッションを始めました。
「調子はどうですか?」という僕の問いに対して、Sさんは一言「最悪です」と答えました。
沈黙があり、それから、Sさんは口を開きました。そこからの会話は次のようになりました。
S「先生は、カウンセラーですよね?」
僕「はい、そうです」
S「カウンセラーは、クライアントを共感的に理解するのですよね」
僕「はい・・・。そうしようと努力しています」
S「先生は、いじめを受けた私は悪くないと言いましたよね?」
僕「はい、言いました」
その後、Sさんの声が急に大きくなりました。
S「それが、虐待だということを、なんでわかってくれないのですか?」「もっと、共感的に私の気持ちに寄り添ってくれてもよかったじゃないですか?」
僕は、ただ唖然としていました。Sさんの言葉の意味がわからなかったのです。
S「私は、自分のことを『悪くない』と思うことができないのです。それなのに、『自分を悪くないと思え』と強制されました」
僕「そ、それは、気づきませんでした」・・・決して強制したわけではないのですが・・・。
S「そんなこともわかってくれないんですね?先生は、それでもカウンセラーなんですか?」
そのセッションは、80分間、ほぼ僕へのSさんからの非難となりました。その間、僕は「Sさんを傷つけるつもりはなかった。でもSさんが傷ついたと感じるのなら、ごめんなさい」というスタンスでいました。
しかし、このスタンスも良くなかったのです。まるで政治家の言い訳答弁みたいで、火に油を注いでしまいました。
僕は、黙って聞いていればよかったのです。Sさんの非言語メッセージに注目しながら。
Sさんはその後も数回カウンセリングに来てくれました。やがて明確になってくるのですが、彼女の人生は、良いことがあった後それを帳消しにするようなネガティブなことが起こってきた人生だったのです。彼女にとっての良いことを否定するのは、大抵両親でした。
苦手な算数で初めて90点をとって有頂天になっていた時には、父親から「その程度で喜ぶな!なんであと10点取れなかったんだ!」と怒られました。叔母からプレゼントされた可愛い服を着て喜んで出かけようとしたら、「あなたみたいな子にはそういう服は似合わない」と母親から言われ、別の服で出かけることになりました。両親からこれからの世の中、女も勉強ができなければだめだと言われ、中学で転校して心機一転必死に勉強して成績が上がったのに、母からは「勉強できるだけじゃダメよ。あなたには女性らしさが足りない」と言われ、自分としては満足のいく大学に合格しても父から「頑張っても、その程度か」と言われたということがありました。
いいことがあると、必ず嫌なことが起こるのです。学校も好きだったのにいじめを受けてしまいましたし、その後、恋愛でも仕事でも、うまくいきそうになったと思ったら裏切られる連続だったとのことです。そして、彼女の中では、「幸せは不幸の前触れ」になってしまいました。
確かに最初のセッションは、Sさんにとって救われたと感じる体験だったのですが、それには必ずしっぺ返しがあるというのは、彼女の認知のデフォルトだったのです。
セッションの後、彼女は「救われた」という感覚を受け入れるのが怖くなったのでしょう。2回目のセッションでの僕に対する攻撃は、その表れだったのです。
僕は、そのあたりのことを十分に理解していませんでした。僕は、Sさんの幸せのすぐ後ろにある悲嘆と絶望に気づいていなかったのです。
政治家みたいな言い訳をするのではなく、Sさんの怒りの背景にあるものを理解することができていたら、その後の展開も違ったものになったかもしれません。
Sさんは、数回のセッション後、来なくなりました。
僕にとって、忘れられない事例です。
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