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アムステルダムDoc映画祭2022日記Day5

13日、日曜日。快晴で最高の日曜日。9月のサン・セバスチャンも、10月の釜山とパリも、そして11月のアムステルダムも好天が続き、自分は晴れ男だと思っているのだけど、さすがに怖いくらい。でもこういうことを書くと明日から雨だったりするので、引き続き気を引き締めて臨もう。
ということで外に出て、とても気持ちのいい朝を歩く。

ホテル近くのレンブラント像。カモメちゃんがかわいい(当然たまたまで像の一部ではない)。

本日も9時から、審査対象である「インターナショナル・コンペティション」部門の作品鑑賞からスタート。
デンマークの監督による『Dreaming Arizona』という作品。荒涼たる風景が広がるアメリカはアリゾナの地を舞台に、数名の高校生たちが自分たちの物語を演劇にしようと集まり、家族にまつわる辛い経験を語り合っていく経緯が描かれる。しかし同時進行形で撮影されたのではなく、その経緯を本人たちに再現させている。つまり、自らの体験を演劇化した本人たちに、その演劇化の体験を再現させるという複雑な2重構造を持ち、さらに彼らの物語から発展(あるいは逸脱)するようなエピソードが挿入されて、虚実が入り混じる形で構成される。

Jon Bang Carlsen "Dreaming Arizona"

いわゆる「クリエイティブ・ドキュメンタリー」と呼ばれるものの一種か、あるいは「ドキュメンタリー・タッチのフィクション」というものが存在するとしたら、本作は「フィクション・タッチのドキュメンタリー」と呼べるかもしれない。ラストベルトの厳しい現実も主題のひとつ。
 
作品が終わり、次の上映まで時間が空くので、急きょミニ審査員会議が開かれることになった。静かなカフェに場所を移し、みなで1時間半ほど話し込み、議論を進めるべき作品をある程度絞り込む。当然ながら感想の不一致はあるものの、話し合いは終始穏やかに進行し、とてもいい審査員チームだ。自分では思い付かなかった意外な視点も聴けて、非常に刺激になる。
 
続いて13時から、同じく審査対象作品で『Girl Who Dreams About Time』という韓国の作品。

Park Hyuck-jee "Girl Who Dreams About Time"

シャーマンの祖母に育てられ、幼少期から予言の才能を見出された少女の、生い立ちから現在までを追っていく内容。彼女は大学にまで進むが、その後シャーマン/占い師として生きる運命に従うか、それとも一般の社会人の道を選ぶのか、葛藤が映し出される。
10月に22年振りに釜山に行って気付いたことだけれども、占い店がとても多い。韓国文化における占いビジネスの根付き方に興味を抱いたので、個人的にタイムリーな作品となった。
 
本日の審査対象作品の鑑賞は終わり、自分で予約した作品の上映に向かう。15時半から、セルゲイ・ロズニツァ監督新作『The Natural History of Destruction』(扉写真も)。ワールド・プレミアされた今年のカンヌでは見逃していたので、ここでキャッチアップが出来てとてもありがたい。

"The Natural History of Destruction" Copyright Progress Film

第二次大戦における、英米軍によるドイツの都市への爆撃を撮影した膨大な映像フッテージで構成される戦争の記録。平和な市民たちの姿を見せる導入部から、やがて闇夜に降り注ぐ大量の爆弾が地上で爆発し、その光が星空と区別がつかなくなる様子が映し出される。そしてドイツ軍と英米軍の両陣営が戦闘機を工場で組み立てる様子が並行して描かれ、その戦闘機には続々と爆弾が搭載される。当初は軍需工場を狙っていたはずの爆撃は、都市にも至り、無数の市民が犠牲となる。

"The Natural History of Destruction" Copyright Progress Film

このような作品で美的な側面を語るのはとても難しい。壮麗な音楽に加え、映像のコラージュが視的カタルシスを与えてくる時はなおさらだ。戦争とアートを巡る倫理的な一線に対する回答のひとつを、ロズニツァは呈示してくれる。
 
上映後、ロズニツァ監督が登壇し、大量爆撃によって市民が戦争終結の「政治的ツール」として用いられる惨状は、今に通ずると語る。映画という手段を最大限に駆使しながら、それがアートという形を取るかもしれないとしても、ロズニツァが伝えるのは反戦に他ならない。戦争に翻弄される人間の営みに他ならない。彼の映像コラージュの伝達力は並外れており、日本公開も期待したい。

上映後Q&A。セルゲイ・ロズニツァ監督(左)

ロズニツァはフィクションとドキュメンタリーの双方を手掛けるので、双方の世界の懸け橋にもなっている。久しぶりにドキュメンタリー映画祭を訪れて実感するのは、フィクション映画の世界との乖離だ。アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭(通称IDFA)は世界最大規模のドキュ映画祭だけれども、ベルリンやカンヌで会う人たちには全くと言っていいほど出会わない。今に始まったことではないけれども、両世界の交流がもう少しあればと願わずにいられない。故に、ロズニツァ監督の重要性は増す一方だ。
 
続いて18時半から、「マスターズ」部門で、ラトヴィアの大ヴェテラン(御年88歳)であるイヴァルス・セレツキス監督による新作で、『The Land』。上映前にセレツキス監督が登壇し、1989年のIDFAでグランプリを受賞したものの、KGBに参加を却下されてオランダに来られなかったエピソードを披露してくれる。ちなみにその作品『踏切のある通り』は、第1回(1989年)の山形国際ドキュメンタリー映画祭でも最高賞を受賞しており、セレツキス監督はIDFAとヤマガタの両映画祭と縁の深い存在ということになる。2001年にはヤマガタで審査員を務めており、その年は僕も佐藤真監督とともにヤマガタを訪れているので、挨拶をした記憶があるような、無いような…。今回新作を見られると思っていなかったので、嬉しいサプライズだ。
 
セレツキス監督が50年前に撮影した農村地に再び赴き、現在のラトヴィアの農業の様子を見せていく。もちろん中心になるのは人物で、都会から農村部に移り住んだ夫婦をはじめ、幾人かの男女たちの日々が描かれる。セレツキス監督の持ち味は、その温かみにあると言っていいと思うのだけれど、本作でも農業に取り組む現代人に向けるまなざしがとても優しい。

Ivars Seleckis "The Land"

50年前の作品はソ連の農業政策を暗に批判したものだったというが(メタファーを多用したので当局からは批判だと気付かれなかったらしい)、同じ地にキャメラを向けた本作では、農業の未来と、人にとって人生の選択とはいかなるものかが、1年を通じて丁寧に綴られていく。ヘヴィーな作品の多いドキュ映画祭において、清涼剤のような存在だ。セレツキス監督はすでに新作の準備中であるという。心から応援したい。
 
上映が終わり、もう1本見ようかと一瞬悩んだものの、本日はこれにて終了。食事をするのもなんとなく面倒なのでそのままホテルに戻り、まだ21時半。ビールをすすりながら(失礼)ブログを書いて、今日は早めに就寝しよう。ドキュメンタリー映画祭は思考をフル回転させるからなのか、どうにも夜になると眠くなるのが早い!

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