英語控え選手の軌跡 後編
今回は控え選手の軌跡後編です。
前半を読んでいない方はぜひ前半からお付き合いください。
【大学生】また挫折して道を見つける
なんとか志望校に入ることができ、観光と英語の勉強をしていました。
何度も英語を諦めようと思いました。
帰国子女をはじめ僕より英語ができる人が周りにたくさんいて僕にできることはみんなできるなと気づかされました。
これまでは英語ができる側の人だったのが一気にできない側の人になってしまいました。
さらに当時は観光系の職につきたいと思っていましたが、長崎のテーマパークにインターンをしたときにあまりに辛かったことと思い描いていた仕事とあまりに違うショックで観光系の仕事はやりたくないと思いました。
できることもやりたいこともなくなって人生で一番自信がなくなった時期でした。
友達に誘われて始めた塾のアルバイトがきっかけで少しずつ目標が見えてきたのが大学4年生の頃です。
僕が教職課程を取り始めたのは大学4年の秋からです。
自信も目標もない人が就活でうまくいくわけがありません。内定がなかなか出ない中悩んだ末たどり着いたのが、今から教職を取って先生になろうでした。
教職過程を取り切るために大学院への進学を決め、みんなが卒業旅行に行く中1人院試の勉強をして教職課程の授業を1年生に混じって取っていました。
このあり得ないほどの急ハンドルを切った結果このnoteを書いております。
【大学院生】孤独との戦い
ギリギリで院試に受かり、観光の勉強をしていた僕は言語学と英語教育学の勉強を始めました。ただでさえ大変な大学院のカリキュラムに加えて教職課程も取っていたので一番辛かったです。
忙しいこともそうですが、人との距離がものすごく離れてしまったのも辛かった要因の1つでした。
中学高校で感じていてた英語教育の違和感を少しずつ言語化して、どんな授業がいいのか考え始めたのがこの時期です。本当にこの時期に勉強したことに支えられて授業ができているなと感じています。
しかし僕は論文を書くことがとにかく苦手だったため論文を書けず、大学院は中退することになりました。
教員免許は取ることができたので、目的は達成していますが、やりきれなかったことは今も胸に引っかかっています。
【社会人】英語の先生になりました
なんとか社会人になってなんとか私立の学校で勤め始めました。
1年目は高校3年の副担任をやらせてもらい、2年目から4年目で中学1年から3年の担任をやらせてもらいました。
これまで勉強してきたこと、経験してきたことを存分に活かすことができ、先生の授業は楽しいと言ってもらえることも多くしばらくは楽しく仕事をさせてもらっていました。
しかし学校の変化と自分の立場の変化に対応できず、休職した時期があり、現在は非常勤講師として勤めています。
休職していたことについて思うことは多々ありますが、総じて転んだのがこのときでよかったと思っています。
【現在】なんだかんだ満足
休職したことをきっかけに自分のキャリアを考え直した結果、来年度からオーストラリアにワーホリに行くことにしました。
自分が英語で不自由したくないという控え選手らしい理由ではありますが、たくさん勉強して、やりたい仕事も経験できるチャンスを活かそうと思っています。
ずっと先生だけをやって学校に籠もるより学校の外を見てきてそれを教えられる先生になりたいです。
前後編と分けて書いていましたが、幼稚園でのインターナショナルスクールの経験と、大学院で学んだ知識が僕の英語の先生としての武器になっていると思います。
アラサーの人生全部を2記事に押し込んでいるので書けていない部分は多々ありますが、控え選手なりになんとか生きてきた軌跡を紹介しました。お楽しみいただけていたら幸いです。