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若さゆえの選択⑦ (詩乃) ~私は、私の人生を生きる~

「――詩乃、あんた聞いてる?」
 ヒステリックに言う母の声に、ふと詩乃は我に返って顔を上げた。母のしかめっ面と、父の仏頂面が眼前に並んでいる。
「あんたがいっつも勝手なことするから、お父さんもお母さんも、本当に迷惑してるの。何でもっと、周りのことを考えられないの?」
 ひどく深刻そうに眉をひそめながら言う母の様子に、詩乃は内心で大きくため息をついた。
 言わせておこう。
 母の言う言葉を、ただ無反応に聞き流す。イライラしたような母の口調は、ただ詩乃の心の表面をザラっと撫でるだけで、もはや芯から揺さぶることはなかった。

「ちょっと、何なのその目は? ほら、お父さんからも何か言って!」
 不愛想にただ母の全景を視界に入れていただけの詩乃の視線を感じたのか、母の金切り声が一層高くなる。父に会話のバトンを渡されようとしたことで、詩乃は一瞬ドキリとした。両親には気付かれないように、小さく唾を飲み込む。
「詩乃。お母さんもお父さんも、詩乃のためを思っていろんなことをやってるんだ。それなのに――」
「ほんっとに、それなのに詩乃は」
 それまで、重たく口を閉ざしていたはずの父が話し始めるやいなや、母がすぐにその言葉を遮った。
 今日の母はよくしゃべる。
 母に会話の先を奪われ引き下がる父を横目で見ながら、ふと詩乃は思った。詩乃がまだ家にいた時、母はずっと父におもねっているように見えた。こうして父の言葉を途中で遮ってまで、母が自分で話すなどあまりなかったことだ。

「全部、詩乃のためを思ってやってるの。私も、お父さんも。私たちがどれだけ、詩乃のために自分を犠牲にしてきたか、ちゃんと分かってる? お母さん、ほんとはずっと働いて外に出ていたかったのに、詩乃を育てないといけないから、仕方なく家にいたのよ」
 娘の方を見ず、ただ自分の思いを口から出るに任す母を、詩乃は凪いだ心でぼんやり見つめた。自らの不平不満を、娘の身勝手へと転嫁しようとする母の見え透いた態度。そしてそのことを不思議と客観視できている自分自身を、どこか他人目線で感じた。スッと盗み見るように父の方を伺うと、じっと唇を重く引き結んでいる。
 きっと、父は母の言葉を聞いていない。母の言ってる言葉がどれだけズレたものか、父だって十分わかっているはずだ。分かっていてなお、それでも口をつぐんでいる。

「お父さんが口を利いてくれて、特別に役場の面接を受けさせてくれるようになったのよ。だから、万華鏡作りなんて子供みたいな仕事は早く辞めて、こっちに帰って来るの」
 いい、わかったわね? と母が強く念押しするように詩乃の目をじっと覗き込む。
 そんな母の言葉と仕草が、凪いだ詩乃の心をざわつかせた。
 眠っていた心に、ボッと炎が灯る。詩乃の目が鋭くなった。
「お母さんが何を言っても、私は今の仕事を辞めない」
 落ち着いた声音で、けれどはっきりと、強い意志を込めて言い放つ。その口調とは裏腹に、詩乃の胸は小刻みに揺れていた。

 これまでの人生で、親に逆らったことなんてほとんどなかった。だって、お父さんもお母さんも、きっといつも、自分のためを思って言ったり怒ったりしてくれていたから。でも、今は違う。これは自分のためじゃない。
今、ここで母や父に従うことはできない。ここは、譲れない。
 胸の中、その思いは強固になる。絶対に譲れなかった。
 思いもしなった娘の強い言葉に息を呑んだ母に、詩乃は言葉を続ける。真正面から、母の目をじっと見え据えて。

「辞めるはずないじゃん。だって、これが私のやりたいことなんだよ? どうして、やりたい仕事を辞めて、やりたくもない役場の仕事をするために家に帰らないといけないのか、私には正直、全然わからない」
 言い切って初めて、詩乃は自分が息切れをしているのを感じた。胸の動悸が激しい。ぶるぶると、全身が小刻みに震えていた。
 そんな詩乃の様子に、母も驚いて目を丸くする。口が空いて、ぽかんとしている。

「ほんっとにあんたは――」
 一拍遅れて調子を取り戻すように、母は何とか言葉を紡ぐ。
「お父さんがどれだけ役場の人に頭を下げてお願いをしたか、まったくわかってないの? 結婚だって、こっちにいたら私やお父さんがいい人を紹介できて安心なのに……。いつまで、そんな子供じみた万華鏡を作っているつもりなの? 別にそうまでしてやりたいのなら、もう知らん! 勝手にしたら!」

 金切り声を上げて突き放す母に、詩乃の心の炎が大きくなる。「当たり前じゃん!」気付けば詩乃の口から、自然に声が出ていた。
「勝手にするに決まってるじゃん! だって、私の人生だよ? 他の誰も、私の人生に責任なんて取ってくれない。自分で選んで、選択して、後悔のない道を歩いて行かないといけない。勝手にするのは、当たり前じゃん!」

 声を大きくした詩乃に、周りの注意が集まる。
 構うもんか。
 詩乃は、まんじりと母を見据える。荒い鼻息が出ていた。



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