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若さゆえの選択⑪ (遼平) ~気付いた時には好きだった~

 月曜の朝8時50分、いつも通りの時間に工房に入ったときだった。
「おはようございますっ!」
 キレのある声に、俺は耳を疑ったよ。だって、その声を出していたのが詩乃だったからね。
 あいつは、もともと元気溌溂といった性格でもなかった。それでも、まあ工房に入って半年、少しはいっちょ前に自信をつけてきたみたいではあった。
 それが、なんというか……その日は前のめりになってるな、て感じたんだ。

「おはよーございまーす」
 そんなあいつの調子に合わせるのが嫌で、俺はわざと間延びした挨拶を返して、スタスタと自分の席に向かったんだ。
 焦って追い立てられてる……。
 ちょうど、そんな感じだったよ。あの日の詩乃は。
 親方の指示に、それまで以上に「はいっ!」「わかりました!」「すぐやります!」てはきはき答えてる様子が、正直痛々しかった。何かやるせない感じだったんだよね。

 昼休み、おにぎりを頬張っているあいつの顔が目に入った時だった。
 あ、これは……。て、察するものがあったよ。
 ていうのも、あいつが工房に初めてやってきた日と、何か似たような雰囲気だったからね。

 びっくりしたのは、あいつの親父さんとお袋さんが、昼過ぎに工房に尋ねてきたことかな。
 詩乃が息を呑んで、固まったのがわかったよ。怒りと、悲しさが混ざったような顔をしてさ。握り締めたこぶしが、ぶるぶると震えてた。それまで必死に抑えていたものが、親父さんとお袋さんが突然来たことで、爆発寸前になった。まさに、そんな感じだったよ。

「ああ、これはこれは。どうぞ、せまっ苦しいところですが、まあこちらへどうぞ」
 親方がそう言って招き入れると、すぐに女将さんがお茶を出した。
 そのまま、名ばかりの応接室で、大人四人が膝をつき合わせて何か話してたな。

 その時の、あいつの顔――。
 胸につっかえたものが、今にも堰を切って溢れ出しそうで、見ちゃいられなかったな。
 しんどそうだな、て、正直思った。
 いろいろやっかいなもの抱えてそうで、何でそこまで抱え込むのか、はたから見ている俺には分からなかったんだ。

 親方と女将さんが、詩乃の両親と話している間じゅう、詩乃はじっと手元に視線を落として仕事を続けていた。
 でも、俺だけじゃなく、周囲の人も気づいてたと思うな。あいつは、心ここにあらずって感じで、意識はずっと、応接室の方に向いてるようだった。まさに、何か気が気じゃなさそうだったよ。
 何をそんなに心配してるんだろう? って、俺は逆に心配になったね。
 神経質っていうか、詩乃は真面目過ぎるんだ。
 動きは鈍くて手先も不器用なくせに、心臓だけは小さいっていうか……。
 もっと図太くて鈍感な方が、生きてて絶対に楽なのにね。

 しばらくして、あいつの親父さんとお袋さんが応接室から出てきた。
 四人でお互いにぺこぺこ頭を下げながら、あいつのご両親を入口まで見送る感じだったかな。
「本当にどうも、ありがとうございます」「ご迷惑をおかけするんですが……」
 親父さんやお袋さんが言う、そんな声が断片となって俺らの耳にも届いたね。
 でも、詩乃はそんな声を、絶対に聞こえないふりをして、かたくなに手元の万華鏡を睨んでたね。

「詩乃ちゃん、お母さんとお父さんと、一緒に話さなくてもいいの?」
 俺らのそばで仕事をしていた国枝さんが、様子を見かけて聞いたんだ。「いえ、大丈夫です。昨日、会って話したんで」てあいつは浮かない顔で答えてた。
 結局、詩乃は親父さんとお袋さんの背中には目もくれなかったな。親父さんとお袋さんは、ちらちらっと詩乃の様子を見ながら、できれば一言二言だけでも、詩乃と話したそうな感じだったけど。詩乃が応じる様子でないと分かると、あきらめたように、かわりに親方と女将さんに大きく頭を下げて工房を出て行った。

 親方と女将さんは、普通に仕事に戻ったよ。
 詩乃には、言うべき時が来たら伝えるけど、今はその時期じゃない。そんなふうに思ってか、とくに詩乃に何か伝えるようなそぶりは一切なかった。
 あいつもあいつでいろいろあるんだろうけど、正直甘えてるな、て俺は思ったね。
 中途半端だな、て。
 あいつがどんな覚悟でここで働いているか、工房に来た日に聞いた気もするけど、俺はよく覚えてない。でも、たしかなゆずれない思いを抱えてここにいるんだったら、頑張って貫けよって思うんだ。そりゃあ、親に反対されたか何かは苦しいかもしれないけど、だからって、何なんだよ? って。

 この世の中は、理不尽なんだ。等しく、誰にとってもね。
 だからこそ、ときにこっちも傲慢に、堂々と理不尽を貫いてもいいんじゃないかって、俺は思うんだ。あくまで、個人的な意見だけど。

 その日、詩乃は遅くまで働いてたよ。
「あ、それ私がやりますよ」「私、やってもいいですか?」「挑戦させてください」
 て、健気に頑張ってた。
 親父さんやお袋さんの前では、あんなにシュンとしてたになあ……。
 俺は、おかしいやら気持ち悪いやら、でもちょっとわかるなあって思いもありながら、そんなあいつの様子を見てた。

 不器用で情緒不安、すぐ泣きそうになる(けど我慢して絶対に泣かない)。おまけに職人としての腕はボロボロでおっちょこちょい。
 こいつ、見た目以上にけっこうアクが強いな……笑

 その頃から、俺の中であいつの評価が、いつの間にか変わり始めてた。

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