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ケルト人と謎の古代人スキタイ(1)


今回は、現在のウクライナ問題とも繋がる古代人「スキタイ」を通じて、かつて欧州王室を担ったケルト人との繋がり考察してみようと思います。
ケルト人を語る上で、最も有名な英雄として、キングアーサーが挙げられます。
しかしながら、アーサー王自身、またアーサー王伝説の主要登場人物であるランスロットの起源は謎に包まれており、長年にわたり研究の対象になってきたようですが、決定的なものはないとされています。
アーサー王伝説は、ブリテンおよび、フランスのアルモリカのケルト文化の所産でありますが、多くの点においてケルト的とは思われない点が多く存在し、研究者の見解が一致しない状態が続いていました。しかし、研究者が詳しく調べてみると凡そ繋がりがないと思われる、西欧ケルトの伝承とは別の地域の伝承、叙事詩にそのヒントを求めることができることがわかってきました。
それは、すでに滅んだとされた、サルマティア人のイアジュゲス族と、その親族に当たるアラン人の文化の中に見られます。
元々、スキタイ人とアラン人は中央アジアの大草原地帯の遊牧民でした。
全盛期には、現在のハンガリーから中国、甘粛省のあたりまで勢力を広げ、外貌は金髪碧眼、インド=イラン語派の言語を話し、木槨墓に埋葬(首領は仏舎利塔の起源ともなるような埋葬塚)に葬り、多くの動物様式の金細工を残しました。そして彼らの文化は基本的には遊牧経済で成り立っており、古代ヨーロッパ人との類似点が多く存在していました。

そのため、現在のイラン人とはほとんど類似点がなく、イラン人の祖先のメディア人やペルシャ人とは異なります。
絶対的な証拠とはなりませんが、Y染色体ハプログループでみると、R1A1はスキタイ時代の欧州東部(ポーランド、ロシア)から中央アジア、インド北部にかけて多く存在し、インド=イラン語派やスラブ語派はR1a1系統と同等であるとされています。

またスキタイ人は、時代によって拠点とされている場所が変わります。
イラン北西部、カスピ海西側にあるマンナイの地「ウルミア湖」近くで28年に渡りこの地を支配し、アッシリアの首都「ニネベ」の襲撃やウラルトゥ王国の破壊に積極的に参加しました。エジプトの王でさえスキタイの君主に贈り物をしており、スキタイ人が歴史に登場した時から、「スキタイとは恐るべき破壊力」と表現されるほどの戦闘集団でした。
そして後に、スキタイの本拠地となるのが、クリミア半島シンフェポリ近くの「スキタイ・ネアポリス」です。そのほかにもウクライナのザポリージエ(ザポリージャ州)に置かれていていたことからも、現在のウクライナ問題は、大変に根が深いと考えなければなりません。

国家として、一流と認められるためには、経済的な発展度合いだけでは測れず、確たる歴史を持っているか、または掌握しているか、ということが重要となってきます。
ロシア自体は元々古くから存在はしていますが、スキタイは古代人として、長い歴史と人類至上最も優れた戦略的傭兵集団とも言える活躍をしてきています。そのため、かつてスキタイの本拠地であったクリミア半島を抑えることはロシアとしても絶対に果たさなければならないこととなってくるのです。

その他の欧米各国に目を移してみると、中国人やイラン人に言わせれば、西欧などは「文明的には後発の国」という意識を持たれています。
そのため、例えばフランスがルーブル美術館にエジプトや古代オリエント、古代ギリシアの歴史的遺物を運び込み、徹底的に研究することにより、歴史を我が物にしようとすることや、更に後発のアメリカが、天皇家を有する日本を手放さないのは、経済的メリットだけとは考えらず、悠久の歴史を掌握することが一等国としての条件となっているからなのです。

話をスキタイとケルトの関係に戻しますと、まず重要になってくるのが前述した「アラン人」です。アラン人という名前は現在では消滅してしまいましたが、その子孫たちは「オセット人」として13世紀末に登場します。
オセット人は、1991年にグルジア・オセット戦争が南オセチアで勃発したことにより、世界中に知られることになりました。
ちなみにオセット人のY染色体ハプログループが、「インド=イラン語派のR1A1ではない。」ということは一旦ここでは脇に置いておきます。
他にも「オセット人」が西洋世界で知られていることとして、「ナルト叙事詩」の担い手として認知されています。ナルト叙事詩は英雄物語で、神話とサガの中間のような雰囲気をもっていますが、古代インドとギリシャの伝承との多くのパラレル(平行関係)が見られるだけでなく、アーサー王物語とも同様の平行関係が認められることから、ケルト人の形成にスキタイ人が大きく関わっているということをこれから展開していこうと思います。





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