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【読書記録】ニーチェの言葉

安易な人生を送りたいなら

この人生を簡単に、そして安楽に過ごしていきたいというのか。
だったら、常に群れてやまない人々の中に混じるがいい。
そして、いつも群と一緒につるんで、ついには自分というものを忘れ去って生きていくがいい。

力への意志

僕は群れるのが嫌いな寂しがり屋。
自分の価値観を明確に持ち、他者に流されたくないかつ、孤独の解消を求める人間の本質的な側面も持つ。

その中間を取るために少人数での集まりを好むのかもしれない。

自分の個性を殺すことなく、孤独も感じない空間で、誰にも縛られない自由な議論ができる人と出会いたい。

群れても自分のプレセンスを発揮でき、1人でも何か没頭している人にも惹かれる。
その人の神秘的な部分が垣間見えた時にドキッとする。

脱皮して生きていく

脱皮しない蛇は破滅する。
人間もまったく同じだ。古い考えの皮をいつまでもかぶっていれば、やがて内側から腐っていき、成長することなどできないどころか、死んでしまう。
常に新しく生きていくために、わたしたちは考えを新陳代謝させていかなくてはならないのだ。

曙光

安定志向が人と組織を腐らせる

類は友を呼ぶというけれど、同じ考えの者ばかりが集まり、互いを認め合って満足していると、そこはぬくぬくとした閉鎖空間となってしまい、新しい考えや発想が出てくることはまずなくなる。
反対意見や新しい異質な発想を恐れ、自分たちの安定のみに向かうような姿勢は、かえって組織や人を根元から腐らせてしまい、急速に頽廃と破滅をうながすことになる。

曙光

切れ者でありながら鈍くさくあれ

シャープでスマートだけではいけない。
鈍くさいところも必要だ。
切れるだけがカッコいいのではない。切れるだけだと、いつまでも「まだまだ若い」と言われて、どこか軽く見られてしまう。錆びも必要だ。
シャープでありながら鈍くさいところもあることによって愛嬌があるように見られて人に好かれるようになるし、誰かが手伝ってくれたり味方になる余地も出てくる。そして、切れるだけのときよりも、ずっと得をすることになる。

たわむれ、たばかり、意趣ばらし

ポンコツ具合を表に出すのが上手い人がいる。
それでいて要所で頭が切れる。

ただ人それぞれのキャラクターの話なので、無理をするべきではない。

強くなるための悪や毒

天高く鑑えようとする木。そういう木々が成長するために、ひどい嵐や荒れる天候なしにすますことができるだろうか。
稲が実るために、豪雨や強い陽射しや台風や稲妻はまったく必要ないのだろうか。
人生の中でのさまざまな悪や毒。それらはないほうがましで、ないほうが人は健全に強く育つのだろうか。
憎悪、嫉妬、我執、不信、冷淡、食欲、暴力。あるいは、あらゆる意味での不利な条件、多くの障標。これらはたいていうとましく、悩みの種になるものだが、まったくないほうが人は強い人間になれるのだろうか。
いや、それら悪や毒こそが、人に克服する機会と力を与え、人がこの世を生きていくために強くしてくれるものなのだ。

悦ばしき知識

愛することを忘れると

人を愛することを忘れる。そうすると次には、自分の中にも愛する価値があることすら忘れてしまい、自分すら愛さなくなる。
こうして、人間であることを終えてしまう。

曙光

本質を見分ける

鉱泉の出方はそれぞれだ。とうとうとあふれんばかりに湧き出る鉱泉。
尽きることなく流れ出るもの。ぽたぽたと滴をしたたらせるもの。
鉱泉の価値を知らない人は、その水の量で豊かさを判断する。鉱泉の効用を熟知している人は、その泉の水ではないもの、含有成分で鉱泉のよしあしと質を判断する。
同じように、他の事柄に関しても、見かけの量の多さや圧倒的な迫力にまどわされてはならない。何が人間にとって意味と価値のある質であるのか。本質を見分ける眼を持つことがきわめてたいせつなのだ。

漂泊者とその影

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