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人生ビックバン
約二年ほど前、以下に示す記事にも書きましたが、自らの住む町や住人のお役に立てる仕事に出会いました。
そしてその後、2年ほど続いたプロジェクトも一区切りを迎え、さらなる展開をみせたのです。
まもなく充実した日々との別れも近いと意識したのも束の間。
「なすのさん、次の打ち合わせの日取りなのですが………」
と、これまでずっと一緒にプロジェクトに携わってきた方たちから、先々月末に突然の打診。
「え? 次とはいつです? え? 次があるのですか?」と、私。
それは件のプロジェクトへかかわった経験を活かし次の新たなプロジェクトへのお誘いでした。
そういうことであれば是非もなし、私は即決、先月からそちらのプロジェクトにて、また新しい出会いや経験をしています。
約十年前から本格的に始まった街の再開発計画は、建設土木にとどまらずあらゆる産業を巻き込み波及し、最終的な経済効果は1兆円に迫るといわれている。
これはあくまでも途上の計画であり、今後数十年をかけますます発展してゆく予定なのだ。それはまるで自分の体の中に張り巡らされた血管の中をたえず流れる血液のようで、自身が街の赤血球となったように。
街はどういうわけか、私という壮年さえも厭わず、輝ける場所を与えんとしているのだ。人生も半ばとなり、自分の人生にはもはや何も大きな波など起こりようもないと思っていた矢先、本当に人生とはわからない。
人生勉強とはよく言ったもので、この体が動く限り、進み続けるのみなのだ。人生に退屈したり、鬱屈した日々に拗ねたり、もう十分だとあきらめたりする暇などない。
命の灯といわれる通り、その魂の灯が消えるその日までただ自分らしく堂々としていればいいのだ。
境遇とか、学歴とか、職歴とか、能力とか、貧乏とか、全部大したことではない。ただ自分がありのままいられていることに比べれば。
だから周りに卑屈になっている暇などない。
自分という唯一無二の、この命で勝負するだけ。
未来はわからないなんていわれる、それはそうだろう。
けれど、ひとつだけわかっていることがある。
それは、必ず思いもよらない未来が待っているということ。
この生ある限り、未来永劫続いていくのだ。
楽しむのも、笑うのも、結局は自分次第。
人生とは、結局そんな風だ。
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