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女王の品格と神格化
人には格があり、そして格であるからには、磨くことのできるものだ。
人格は、人生における体験によって、魂が磨かれることにより研鑽され格上に成っていく。ノウハウなど、外に答えを求めずとも、答えはいつも己の中にあるからこそ、精進する。
人は自分以外からの教育や躾などによって人になるのではなく、自らの体験からなる生活様式によって人格が形成される。
「人格」とは、 広義的な性格 を意味します。
『広義的な性格』とは、『より広い意味における性格』ということですが、性格が行動・感情という一部分の傾向を示す言葉であったのに対して、「人格」はその個人 (主体)全体を表します。つまり、ある個人が持つ特徴 (=性格)だけではなく、思考や心理を含めた、より深く広い範囲を表すのが「人格」です。
精神性と人格の関係
情操教育は心の発育に寄与。
失敗すると獣じみた人型の物の怪となる。指示待ちの木偶の坊になる。
心無い人に、どんなに心を寄せても、どんなに心を説こうとしてもそれは無理。無いものはない、無理なものは無理。心響かせあうためには、相手に心が備わっている必要があるのです。
ロボットと心通わせた人を見たことがあるでしょうか?
虫たちと心通わせた人を見たことがあるのでしょうか?
子供が自由に遊ばなかった場合、たとえば学校や自宅で座学ばかりしているとどうなるか、いわゆる使えない情緒不安定な奴になる。親のエゴという躾によって、破綻した人格が形成された子はどうなるでしょう。
勉強などせず、外で奔放に戯れていた子たちが、やがて大人となり立派に女王の品格を身に着けるのはこのため。
古来より伝わる慣習や自然や他人とのふれあいという、複雑極まりない状況こそが最高の情操教育となるからだ。
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神格と生活様式
周りへの感謝や神様への信仰はもちろん大事、でも神様がいなくても自分たちが楽しく暮らせば、そこにやがて神様もやってくる。
どんなに賢くても、偉くても、何故この行事や慣例を行うのかなんて知る必要すらない。何もわからずとも素直に馬鹿になることが大事だから。
これらは決して押し付けたくないから、気づいた人から実践する。いわれずとも節目節目に神社にお参りに行く人たち。慣習や風習を受け継ぎ、惜しみなく発信し続けてくれている皆様への感謝を忘れたくない。
大多数の人々が一時的に大切なことを忘れてしまったとしても、ごくごく少数の人たちによって受け継がれていく。自分たちが、今まさに神話の中を生きる継承者であることを自覚し思い出すことだ。
もうすでに自分たちの歩む先において未来が形作られているのだから。
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