あなたがいてくれてよかった、で?
人は信念という得体のしれないものに縛られる。
「自分はこうあるべき!」
「自分はこうじゃなきゃ!」
生まれる前から完璧にプログラムされたロボットのように、馬鹿正直に明日も自己欺瞞の自分を生きる。
ゆえに、あなたはコロコロと言動が変わる他者を嫌悪する。
ある意味で、周りにも自分と同様の価値観の中で足並みを揃えることを望む。これまでも、これからも変わらずに清廉潔白であることを求める。
あたかも無常である世界に挑戦するように。
それでもなお、人が本当に刹那を生きたとき、自分の心に従い瞬間瞬間を生きたとき、あらかじめ定められていると信じていた信念などゴミのように破壊される。
だって、そんなんじゃ高嶺の花子さんに挑戦なんてできない。
あらたな夢に向かって走り出せないじゃないか。
いいかい? 今こそ思い出せ?
そもそもあなたがいなかったらこんな世界無価値だ。
あなたがいるからこの世界が存在しているんじゃないの?
あなたという意識が、認識が世界たらしめているんだよ!
だからあなたがいなきゃ、それこそ僕らに価値は発生しない。
あなたに認識されなきゃ、存在していないも同然だから。
あなたは変わらなくてもいい、あなたがそう望むのなら。
あなたは変わってもいい、あなたが望むままに。
そもそもあなたがいなかったらこんな世界いらない。
この世界に意味を与えているのは、あなただ。
無意味な他者なんかに目もくれず、目の眩むような人生を歩めばいい。
信念というプログラムに縛られる僕らとは違い、あなただけは自由だから。
欠けた僕たちなんて気にかけず、まっすぐ進めばいい。
奇麗じゃなくていい、力強くなくていい、歩みは遅くていい。
かっこよくなくていい、弱くてもいい、タイミングもどうでもいい。
あなたがあなたらしく生き始めたとき、僕たちという歯車が回るのだ。
無意味な僕たちの欠けた部分をあなたという存在が埋めるのだ。
だからどうか、あなただけは自分を信じ生きてほしい。
あなたがいなければ、僕たちは存在しなかった。
あなたならきっと、宿命さえも越えられるって姿をみせてくれるはず。
「あなたがいてくれて、本当によかった」